lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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ジーコと共に~岩政監督、お疲れ様でした!~



2023年12月4日、鹿島アントラーズは最終戦終了から24時間経たないうちに、岩政監督の退任を発表しました。

www.antlers.co.jp

チームからの公式発表によれば契約満了に伴う退任。
本人が公式で発表したコメントやいくつかのメディアで語ったことから推察しても、チームから解任したといった様子は感じられない。

1年やり切った結果での契約を更新しないということであれば、最低限のリスペクトは保っているように思う。

・・・が、契約満了という事は、1年契約だったのか?

本気で1年で結果を出す(出せ)と退路を断って挑んでいたのか?

色々と心に思うことはありますが、まずは感謝の言葉と、そして就任時に気になった過去の記事をピックアップしておきたいと思います。

 

岩政監督の退任報道を受けて・・・

 

2022年早春、岩政さんのカムバックに心が湧きたった

岩政さんが現役を引退して以降、試合解説を聞いたり、雑誌等の対談記事を読んだり、メディア出演時の話を聞いていると、この人ならば鹿島ファミリーが判っているけど「言葉」にしにくい「鹿島らしさ」ってモノを、数学の先生ならではの「分析」によって、50年後、100年後にも残るように「言語化」してくれるのではないか・・・

そんな風に感じていました。

それゆえ、鹿島が「欧州から監督」を招聘するなど「新しい鹿島」を作るために動き始めた第1歩から「コーチ」として参画することは、チームにとってかけがえのない財産になると期待しました。

理論だけでなく、実際のプロの世界で「現場」を体験することで、さらに「進化」するのではないか・・・と。

 

監督代行では勝負師の顔も披露してくれた

コロナの影響でレネ監督が入国できず、プレシーズンだけでなく開幕にも間に合わない事態に陥いると、岩政コーチは新米コーチなのに、いきなり監督代行を務めることになりました。

しかし、プレシーズンでのトレーニングマッチはボロボロ・・・
水戸との恒例のプレシーズンマッチでも結果は出ませんでした。

ただ、この時点では誰も「批判」などする人はいませんでした。

それでも・・・
岩政さん自身がここで「鹿島らしさ」を「強烈」に発揮します。

勝ちたい、何としても勝ちたい。
その想いが彼自身と選手を突き動かし、開幕戦に快勝!
川崎には返り討ちに遭いますが、すぐにチームを立て直します。

その結果
リーグ3勝1敗
カップ1敗

と言う結果で、レネ監督にバトンを渡したのですが。

あの代行時代の「チームの方針」はとても判り易かったと思います。
とにかく目の前の試合に「勝つ」でしたから。

その明確な目標の元に行動していたから、サポーターの目にも判り易かったです。

 

出来れば拒否して欲しかった監督就任

諸事情あってレネ監督が去り、新監督が決まるまでの間、私は心の底から思っていたことがあります。

「岩政さん、今は受けちゃだめだ」

どんな名将だって「初采配」はあるけど、あの時点での岩政さんは、「監督」と言うポストに立つ準備は出来ていなかったはずです。

だから、心の底から思っていました。

「受けちゃだめだ。代行もダメだ。」
「成功と失敗の経験を積んだ方が良い。」

そして岩政さんは受けないだろうと思っていました。
なぜなら、2017年に鹿島を解任された石井さんとの対談は読んでいたからです。

この6回に渡る対談は、今読んでもとても示唆に富んでいるので、時間があればお勧めの記事だと思います。

"外"から見た鹿島の印象は?クラブの歴史を知り尽くしたOBが大いに語る!【石井正忠×岩政大樹#1】 | サッカーダイジェストWeb

舌を巻いたオリヴェイラの見極め。「優勝争いのポイント」を知っていた【石井正忠×岩政大樹#2】 | サッカーダイジェストWeb

明かされた“金崎事件”の真相。解任の理由はACL敗退以外にも【石井正忠×岩政大樹#3】 | サッカーダイジェストWeb

鹿島はなぜ”常勝”でいられるのか?【石井正忠×岩政大樹#4】 | サッカーダイジェストWeb

ジーコが鹿島に残したもの。クラブ創成期の忘れられない光景とは【石井正忠×岩政大樹#5】 | サッカーダイジェストWeb

”良くも悪くも”変わらない鹿島。正念場はフロントの”2トップ”が勇退した時か【石井正忠×岩政大樹#6】 | サッカーダイジェストWeb

 

私にとっては無謀に思えたチャレンジ

受けない方が良いと思っていたけど。。。
結局は監督を引き受けました。

鹿島への愛、情熱、もしかしたら野望もあったのか知れませんが、岩政さんは「監督」を引き受けたのでした。

だから・・・
初陣の福岡戦はスタジアムに駆け付けました。

あの日のスタジアムの雰囲気は忘れません。
スタッフも選手もサポーターも、皆が一つの想いを共有していました。

勝って、スタートするのだ・・・と。

www.road-to-landsend.net

あの試合を観て綴ったブログを読み返して気付いたのですが、あの時点で素人目にも危惧していたことが、結局、最後までチームを苦しめたのだなぁ・・・と。

記事の中で、上田が移籍した悪影響である優磨依存からの早期脱却を促しているのですが、結局、最後まで解決出来なかった(いや、最終節での師岡は最後の光かも)。

もう1つの不安であったCBに関しては、オフに植田と昌子を帰還させることで関川の成長を促すことに成功し、2023年はかなり改善されていたので、攻撃面に関しては、結果はともかく知念と垣田はオフに補強しているので、体制づくり(オフェンスコーチ等)が上手くいかなかったのでしょうか?

 

「優しすぎた・・・」の真意

最終節を前に受けたインタビューで、監督が「選手にもクラブにも優しすぎた・・・」と発言しているのですが、この言葉は「フロント」にも向けられているような気がしています。

sakanowa.jp

何が優しすぎたのかと言うと、シーズン序盤に首を切らなかった事ではなく、昨シーズンのオフにジーコが「監督は経験者が・・・」と言うような趣旨のことを口にしていた際に、クラブが「勝負に徹しられなかった」ことかな?と。

もちろん記事ではそんな事は書いてないし、監督も口にしていません。

でも、2022年のオフのタイミングであれば、一旦監督を退いて経験を積めと言われたら、岩政さんは従えたように思います。

でも、フロントは「選手からの信望が厚い」新米監督に「掛け」てしまった。

タイトルを獲るために「非情」に徹することが出来なかったクラブの優しさ、甘さに対する、岩政監督の心からの訴えだったのかも知れない・・・。

そんな風に記事を読んで思いました。

 

最後までピッチレベルでの修正力は上がらず

2023年シーズンは、不安だらけのプレシーズンとなりましたが、開幕戦は勝利するも、すぐに泥沼に嵌り、布陣と起用を一新することで息を吹き返しますが、「勢い」で勝っていたのでその勢いを削がれると、そこからは連勝街道を再現することは出来ませんでしたが、ホームでは負けない試合を展開し、上位陣が混戦だったこともあり、9月までは優勝戦線に残っていたのは立派でした。

ですが、決戦と位置付けたマリノスに敗れ、首位の神戸にも敗れて終戦となりました。

最終節の横浜FC戦を観に行きました。
その試合でも、2023年の鹿島が抱えている問題はそのままでした。
攻撃が上手くいかなくなった時にピッチレベルで選手達が修正出来ず、交代の手を打っても機能せず、交代で入った選手もピッチで修正力を発揮出来ない。

無策とは言わないが、素人にもハッキリ言えるのは「何をしたいの?」でした。
それが、ずっと続いていたのは、1つの限界を示唆するのではないでしょうか?

2023年シーズンのチームの問題は、得点力とか、攻撃戦術の構築とか、色々とありますが、一番はこの「修正力」だったと思います。

もう1つは、最後まで主軸ですら不明瞭なママだった「新しい鹿島」でしょう。
昌子のブログを読んで唖然としました。

本当に、唖然と・・・。

reibola.com

これではチームに一体感はなかなか生まれないよ。

 

鍵となった試合

あの試合に勝っていれば…と言うのは、人それぞれだと思いますが、私は第2節の川崎戦だと思います。

プレシーズンでボロボロだったチームに、何らかの手が入ったのか、開幕戦は勝利を意識した戦いを演じてアウェイで快勝!
続く第2節川崎戦、後半44分から悪夢の逆転負け。

あの試合、決して「新しい鹿島」とか「強い鹿島」とかが体現出来ていた訳ではありませんが、負け続けている相手に執念で挑み、勝利を目前まで辿り寄せました。

あのまま勝っていれば、多少なりとも自信を持って「勝利に拘る」と「新しい鹿島」の程よい融合でシーズンを戦えたはずが、負けたことで「やっぱり大改革が必要」と舵を切ってしまい、その結果、シーズン序盤にバランスを崩してどん底にまで落ち込んだのだと思います。

もちろん、程よい融合で戦っていてもタイトルは遠かったと思いますが、川崎にホームで勝っていれば、最終順位が5位よりも下だったとしても、岩政体制は2024年も継続したと思います。

だから、あの試合が鍵だったのではないでしょうか。

 

もっとも美しかった試合

色んな試合を思い浮かべましたが、2024年第27節のホーム・C大阪戦です。
試合内容は美しありません笑

でも、先制してこれからと言う時に、ピトゥカを退場で失い、勢いのあったセレッソ相手に10人となってしまったチームを、スタジアムが一丸となって背中を支え、虎の子の1点を守って勝利した試合・・・。

あの時のスタジアムのファミリー感は、岩政体制において最も「鹿島らしさ」が体現された試合だったと思います。

まあ、「新しい鹿島」ではありませんが・・・。

www.road-to-landsend.net

 

まとめ 

最終節のセレモニーは、ほとんど「お別れの挨拶」だったので、退任かな?とは思いましたが、24時間も経たずに退任の報がチームから発表されるとはちょっと意外でした。

今はただ、とにかく残念でなりません。

これほどまでに選手の事を愛し、鹿島を愛してくれる人はそうそういません。

2年に渡って鹿島で指導者をしている岩政さんを見ていて思ったのは・・・

「先生は先生だった」

です。

だから、ユース年代の監督を任せたら、とてつもない常勝時代をユースにもたらすような気がしてなりません。

 

でも・・・まずはゆっくりと休んでください。

本当に、本当に、お疲れ様でした。

 

今まで以上に
心に刻むのはこの言葉

献身、誠実、尊重

SPIRIT OF ZICO

 

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