lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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ジーコと共に~ポポヴィッチ氏からの最後の言葉!鹿島は再出発ではない!!~



2024年11月24日、ネットに掲載された記事に目が留まりました。
それは、先日、鹿島の監督を解任されたポポヴィッチ氏の記事でした。

解任の件があまりにも唐突だったこともあり、どんな内容なのか・・・思いっきりマイナスなことを書かれていても仕方ないだろうな~と思いながら、記事を読みましたが、後ろ向きなことは何一つ発していませんでした。

むしろ、思うような戦力が揃わず苦悩しつつも、新潟の地で「シーズン最後の勝負」を仕掛ける「鍵」をようやく見つけて意気込んでいたのに、志半ばにしてチームを去らないといけなかった指揮官の言葉の数々は、考えさせられるものでした。

記事を読んで、心に思い浮かんだことをまとめておきたい。

 

 

最後まで温かい人だったポポヴィッチさん

記事を読めば一目瞭然だが、それなりにショックな解任劇を喰らったにも関わらず、ポポヴィッチ氏はチームに対して一切の「批難」も「苦情」述べていない。

そんな彼が、ただ1つ、悔しさを滲ませていることがある。

捉えようによってはそれが「フロント批判」かもしれない。

会見の機会もなく、指揮官が背中を押してくれたサポーターの前からこつぜんと姿を消してしまうのは、礼を失しているのではないかとの忸怩・・・

sportiva.shueisha.co.jp

チームにタイトルをもたらすことが出来る監督であったか?
そう聞かれたら「う~む」と考え込まざるをえない。

でも、鹿島に監督としてポポヴィッチ氏と共に戦えたのは幸せだったか?
そう聞かれたら「共に戦えて幸せだったよ」、と、誰もが答えると思う。

ポポヴィッチ氏は、最後の最後までまで、チームと共に歩み続ける「サポーター」をちゃんと見続けてくれる人でした。

 

ジーコスピリッツを感じた理由

就任時の会見以来、私はたびたびポポヴィッチ氏の言葉に対して強いシンパシーを感じることがありました。

その理由が、この記事で紐解かれました。

鹿島のクラブの歴史を学んで来日した私はことあるごとに選手を鼓舞しました。

鹿島アントラーズと言うクラブはどういうクラブで居続けるべきなのか?

ポポヴィッチ氏は誰よりもそれについて学び、誰よりもその実現のために言葉を発し続けていたからこそ、私はポポヴィッチ氏の言葉に、レジェンドであるジーコがことあるごとに口にするジーコスピリッツと同じ感情を抱いたのだと改めて思いました。

 

DF陣の補強に関してはやっぱり疑問あり

世界中の鹿島サポーターが、シーズン当初よりヤキモキしていた2024年シーズンの鹿島のDF問題についても、この記事では言及されていました。

インタビューの通り、チャルシッチの不運な離脱は確かに痛かったと思います。

でも、駒不足だから、植田と関川に「激励」した件や、チームの要求に見合う選手が居ない(適正価格で獲得できない)から獲得しないと言う件には、やはり疑問を感じました。

ポポヴィッチ氏自身が、植田と関川がカードの累積を気にして思うようなプレーが出来なかった点があることに言及し、悪いことをしたと言うようなコメントがありますが、そうであるならば、やはり補強しておけよ~と思わざるを得ません。

だって、怪我を恐れて練習や試合でプレーするのは、それこそ「鹿島のあるべき姿」じゃないでしょ・・・。

本人たちも理解していて、プレーに影響を及ぼしました。カードをもらわないこと、ケガをしないことを心掛けなければならない。

この辺の監督とFDのマネジメントに関しても、フロントが決断した理由の1つなんだろうなぁ。

 

選手達への言葉とポポさんの矜持

記事を読んで、選手達との間に溝があったようには感じませんでした。

もちろん、監督の基準に満たない選手はベンチにも入れず、悶々とする日々だったことは確かであろう。

それでも、愛情を持って選手に接していたことは間違いありません。
なぜなら、日本を離れる最後の日まで、指導してきた多くの選手達の名前を上げて、彼らががより良くなるために必要なことを口にして叱咤激励しているのですから。

sportiva.shueisha.co.jp

でも、だからこそ、もう少し選手固定をせずに・・・
と思わないでもないのですが、ポポヴィッチ氏が抱いている「ある基準は、変えられるものではなかったのだろうと感じました。

プロとして言いますが、間違いなく先発とベンチの差はあります。すべての選手が同じクオリティではない。

この台詞は、選手が聞けばショックを受けるかも知れません。
でも、タイトルを獲るチームになるためには、必要な基準だったのでしょう。

一方で、基準に満たない選手がいたから固定せざるを得なかったと言いつつも、クオリティの高い選手を獲得できないフロントの批判は最後までしないところに、監督としてのポポヴィッチ氏の矜持が感じられました。

 

知念の言葉

知念の言葉には、ちょっと思うところがありました。

息子が2歳になってから、カシマスタジアムへ何度も一緒にサッカーを観に行っているのですが、先日、こんなことを言われました。

『パパ、勝ってないのに、今年は何だか楽しそうに観ているね』

確かに・・・
勝ってないのだから嬉しくはないのですが、でも、楽しそうに躍動している選手達のプレーは、観ているこちらも楽しい気分にさせてくれたのは事実です。

そう感じていた理由は、知念が解任されたポポヴィッチ氏に送った最後の言葉を読んで理解出来ました。

これまでサッカーは苦しいものだと思っていましたが、こんなにも楽しものであったのかと気づくことができた。まるで少年時代のような気持ちになれました

勝てなくても良いとは絶対に思いませんが、でも、「あの年」の三竿はいつも苦悶の表情を浮かべながらプレーをしていました。

あんな顔や仕草は二度と見たくないし、させて欲しくありません。

 

ポポヴィッチ氏と歩んだ時間を消す必要はない

先日、アウェイでの川崎F戦に勝利した際の記事では、ポポさんと歩んだ時間は決して無駄では無かったと書きました。

私は心の底からそう思っています。

なぜなら、ポポヴィッチ氏が監督を引き受けた際に、頭でしか「ジーコスピリット」理解していない選手が多かったとコメントしていますが、フロンターレ戦での柴崎の言葉(プライドに掛けて勝つ)は、ポポヴィッチ氏と共に歩んだからこそちゃんと選手達の心に響いたと思うからです。

だから・・・
ポポヴィッチ氏が言うように、鹿島は再出発ではないのでしょう。

メディアなどから再出発だというような、シーズン前と同じようなコメントが出るのは悲しいことです

 

まとめ

ポポヴィッチ氏が鹿島にもたらしてくれたのはタイトルでは無かった。
だけど、とても重要な物をチームにもたらしてくれたと思います。

それは、再びタイトルを手にするチームになるために必要な「勝利への執念」と「共闘の大切さ」です。

ポポヴィッチ氏が掘り起こしてくれた鹿島の魂の芽が、近い将来、タイトルを手にする巨木なるために、私はサポーターとして出来ることをしようと改めて思いました。

献身
誠実
尊重

鹿島が紡いできた唯一無二の伝統を、誇りに感じながら戦う選手達を応援します!

 

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