lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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『義経』を詠んだ!



義経(著:司馬遼太郎/文春文庫)を読んだ!
これまた、100円販売の本を見つけ購入、、、あれ、家の片隅にもあったぞ。。。やっちまっただ。
まあ、こういうことが無いように、読書日記をここに記すようにした訳だが。。。ふぅ~。。。

と言うことで、この本は2回目の読破になるようです。恐らく1回目は2005年にNHKで大河ドラマをやっていた頃ではないかと思う。観てはなかったけどね・・・。

 

<粗筋>

1159年の平治の乱において父・義朝が敗死し、牛若丸と呼ばれていた義経も兄弟諸共殺されるところであったが、母・常盤の身をはった行動で救われるところから物語りは始まる。
7歳になり、鞍馬寺に預けられると、遮那王と名乗るようになり、坊主たちの相手(衆道)をさせられていた義経。ある日、源氏の若が居ることを聞きつけ、物珍しさでやってきた奥州人との出会いが、彼の人生を大きく動かすことになる。
奥州商人に従って旅をする最中、盗賊を打ち倒して源氏の名乗りを上げたり、自分の手で元服を行ったり、かつての誼を頼って立ち寄った関東の武家で裏切りに会い、館に火をつけたり、那須一族の末子・与一と親しくなったり、村長の娘とやりたい放題になったり、、、紆余曲折ありながらようやく辿り着いた奥州・平泉であったが、そこでも「ほぼ種馬」扱いの日々を過ごしていた。
その後、当主・藤原秀衡に息子(孫)のように可愛がられ、何不自由なく奥州の地で暮らしていた。
転機は、兄・頼朝の挙兵。
挙兵を聞きつけ、秀衡が留めるのも聞かずに、殆ど身一つで奥州の地を飛び出し、富士川の戦いに勝利した直後の兄の下に馳せ参じた。

感動の出会いの直後から2人の間には溝が生まれ、その幅は広がり続け、二度と交わりあうことは無かった。
頼朝はあくまでも義経を一人の家来扱いをするが、義経は「兄の手下は僕の手下、兄と僕は同じ」的な発想。
戦では、天才的な閃きと優秀な戦略眼を持ち合わせている義経だが、政治に対しては「本物のうつけ」。
身近になった人物に対しての思い入れ・優しさ・労わりは出来るのだが(敵味方問わず)、真の意味で彼らが何を欲しているのかは全く気が付かないお人好し。

義経が兄の事を思い、必死に立ち回れば立ち回るほど、兄の立場を追い詰め、自分の居場所を狭くしていく。

そして、最後の時を迎える。

 

<感想>

感想を述べるのは難しい。感想は二つに分けられる。
まず作者へ!
本当に凄い人だとは思うのだが、、、でも小説ではないと思う。私は、司馬遼太郎という人の本は、彼が生涯をかけて調べ・書き綴ってきた論文ではないかと思う。しかも、1つの本で完結しておらず、全ての物が1つのテーマ「司馬遼太郎の歴史」を産み出している。それはそれで凄いことだし、面白いし、ためにもなるし、尊敬できるのであるが・・・。
ただ、、、残念な事は、どの本を読んでも、なかなかその世界にのめり込む事が出来ない。あまりにも情報量が多く入りすぎており、かつ作者の主観があちこちに書かれているため、どうしても歴史書を読んで、学ばされているような雰囲気になってしまうからであろうか。
本当に、残念なんだよ。

続いて内容に関して!!
この本には、「いわゆる義経の伝説はない!」
ないんだよ、これが。弁慶との戦いも、八艘飛びも、静御前とのモロモロも、与一の矢も前振りをアレだけしといて、しかとは書かないし。なんていうか、「血沸き肉踊る」的な部分は殆どない。
更にだ!
日本人の大半は義経贔屓だとおもうのだが、この本には贔屓はない。寧ろ、徹底的に「人間・義経」の「脆さ・弱さ・幼さ」をこれでもかと見せつけている。司馬遼太郎が取っている説は「軍事の天才・義経、政治の阿呆・義経」だ。だから、今までの義経像に育てられた人には間違いなくショックを与える内容と言える。

今までの通説に囚われることなく、地道な調査で得た事実を自らの歴史観を基軸にして書く。そこが、司馬遼太郎の凄さなんだと思う。

でもなぁ、、、小説なんだから、愉しみたいんだよなぁ。。。

 

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