2024年10月5日、はるばる神奈川から新潟の地まで鹿島アントラーズを応援しに行きました。8月の磐田戦以降は状態が安定せず、苦しんでいるチームを少しでも声で支えたいと思って。
自分と同じような思いを抱く同志達が全国各地から新潟に集まっていて、90分間、声と手拍子でチームの背中を支え続けました。
その結果、アントラーズはようやく長いトンネルを抜けることが出来ました。
勝利はしましたが、試合後半のチームの状態や監督の交代カードを切るタイミング、そして選手選考など、実際に自分の目で見て色々と感じることはありました。
それでも、まさかこのタイミングで監督とフットボールダイレクターの解任があるとは思いもしませんでした。
衝撃から数日経ち、改めて感じていることを自分の言葉でまとめておきたい。
- ポポさんは鹿島を率いるに値する人だった
- 生涯忘れない言葉「鹿島のエンブレムを見ろ」!
- 2023年終盤の閉塞感を吹き飛ばしてくれた
- 監督継続への懸念は確かにありました
- 吉岡フットボールダイレクターの退任
- 鹿島サポーターとしてやることは1つ
- まとめ
ポポさんは鹿島を率いるに値する人だった
2023年年末、鹿島が新監督としてポポ氏を招聘した際、鹿島サポーターだけではなく、他のサポーターやポポ氏がかつて率いたチームの選手、さらには数多の評論家など、本当に賛否両論だったことは記憶に新しいです。
私自身も、ポポさんは監督経験は豊富だけど、タイトルどころかタイトル争いもしたことがない人に、「この期に及んで」託すのか?
己の進退を掛ける価値があるということなのか?
そう感じました。
しかし、色んな不安や疑問は、シーズン前のポポ監督のインタビュー記事を読んだり、配信動画を観て払拭されました。
なぜなら、何も語らなかったレネ監督や、常勝の看板を下ろせと言ってしまった岩政監督とはちがい、ポポ監督は鹿島がこれまで築いてきた鹿島の伝統(フィロソフィー)をリスペクトし、ポポ監督自身がきちんと理解し、そして、きちんと言葉にしてくれていたからです。
それだけでも、私にとっては「鹿島を率いる」に値する人だと感じたのです。
生涯忘れない言葉「鹿島のエンブレムを見ろ」!
8年に渡って勝てなかった鹿島が苦汁を飲まされてきた川崎F。
その因縁の相手との試合前に、ポポ監督が選手に向かって叱咤激励した言葉が、MATCHDAYで公開されました。
きっと全サポーターが同意見だとは思いますが、このポポ監督の言葉を聞いて「鹿島」と言うチームを応援することで忘れてはいけないこと再認識した人は多いはず。
私はこのポポ監督の言葉は、物理的に苦しい・・・時だけを対象にしているのではなく、どんな時でも上手くいかない時に「人の所為にするな」、仲間(選手やサポーター)の「サポートを信じろ」、鹿島と言うチームで戦う「誇り」を常に忘れるな、そんな意味合いも含まれていたに違いないと思っています。
だから、ポポ監督の言葉は胸にストンと落ちました。
2023年終盤の閉塞感を吹き飛ばしてくれた
2023年シーズンの終盤は、本当に重苦しい時期だった。
スタジアムで観戦していて、あれほどに息苦しい90分は経験ないし、選手達の表情も苦悶に満ちたものであった。
だからこそ、2024年シーズンは、せめて選手の「笑顔」が見たいと思っていました。
サッカーを出来る幸せ、プレー出来る幸せ、カシマスタジアムでサポーターの声援を浴びる喜び、それらを選手に感じ、躍動して欲しいと思っていました。
そして、サポーターもそんな選手達を支えたい。
そう願っていたら、ポポ監督は、ちゃんと風を吹かせてくれました。
何よりも大切なカシマスタジアムで、最後の瞬間まで戦い抜くことを選手達に強いて、「負けない」姿をサポーターに見せて、だから共に戦おうと形で見せてくれました。
だから、8月以降に苦しい日々に、采配や結果に対して批判はあっても、サポーターと監督や選手との心が完全に乖離するような事態には至らないだろう・・・。
そう思っていたのですが、サポーターはともかく、フロントや一部の選手とは距離が開きつつあったことが、今回の解任の一因でもあると知って、少々、驚いています。
でも本当にそうだろうか?
試合前や試合後に、かつての同僚や部下、教え子がポポさんの元に寄っていくのを何度も観ました。
求心力をアッサリと失う人に、人は寄っていくものかなぁ。
監督継続への懸念は確かにありました
まず、濃野の怪我は、これは仕方ないと思います。
プロである以上、選手は常にプレーしたいし、監督は勝つためにベストの選択をする、その中で生じたものだと思うからです。
ただ・・・
天皇杯神戸戦で傷んでいる選手を替えられないスカッドとか、明らかに調子の落ちた主力に依存するところとか、情熱で「疲労」を乗り越えさせようとするところ、などなど、このまま来年も指揮して貰うのが適切かどうかは疑問がありました。
実際、新潟戦を観ていても、上手くいかなくなった時の対処は苦手(引き出し少ない)なぁ~と感じました。
それでも、先に述べたいくつかの「良さ」を考えれば、監督の弱点をしっかりと支えられる首脳陣(守備ルールの構築や分析力に長けた参謀など)を揃えれば、まだ伸びしろはあるはずだとも思いました。
ただし1つだけ条件はありました。
それは、ポポ監督が「彼の苦難の人生を通して得たフットボール哲学」を変えられるだけの度量があれば!
です。
ですがそれは、結局判らないまま(もしくは内部では出来ないと判断されたのか?)、お別れとなってしまいました。
吉岡フットボールダイレクターの退任
役職上は取締役であり、仕事はチームを優勝させるための「監督」と「選手」の招聘であることを考えると、結果が出ていないのだから「辞める」しかないのだと思います。
吉岡さん自身に能力があったのか?なかったのか?もしくは縛りがあって思うように出来なかったのか?
その辺りは外からは謎のママです。
ハッキリしているのは、日本人選手の獲得は見事だったと思います。
樋口や佐野の獲得、安西や昌子、柴崎や三竿の再獲得など、全てが吉岡さんの功績か判りませんが評価されても良いと思います。
ただ、再獲得から僅か1年で鹿島を去った昌子が、移籍発表前に彼自身のブログで記している言葉が、今にして思えば「FDの退任」に繋がったことでもあると思うのです。
昌子のブログから引用します。
復帰に際して吉岡宗重フットボール・ダイレクター(FD)に言っていただいた「新しい鹿島を作るためには、クラブが歴史の中で育んできた『鹿島とは』を体現できる土台が不可欠。その『鹿島とは』を体現できる一人が源だと思っている」という言葉でした。加入した時には新しい鹿島を作るとはどういうことなのか、まだピンときていなかったことも、その言葉の意味を考え続けた1年になった理由かもしれません。
ですが、結論から言って1年が経った今も、何を持って「新しい鹿島」と言えばいいのか、今もわかっていないというのが正直な気持ちです。では、なぜ、そうなってしまったのか。僕なりに考えた中で1つ明確になっていることを言葉にするなら、タイトルを獲れなかったことが理由ではない、ということです。
この文章後に更に重要な言葉を昌子は述べていますが、それは直接読んでください。
私はこのブログを読んだ時に、あれほど言葉にする力に長けている昌子が、1年間戦い終えた後に「このような言葉」を発したことに、とても愕然としたことを覚えています。
つまるところ、吉岡FDが描いていた構想は壮大なれど、それをきちんと図面にすることは出来ない人だったのではないでしょうか。
それでは、人は共に歩めないし、その状態でどれだけ藻掻いても求める結果は出ないと思います。
吉岡FDとは何者だったのか?
と言う問いに関しては、この昌子のブログでの表現が全てなように思います。
鹿島サポーターとしてやることは1つ
色々と書きましたが、選手が戦い続けている限りは彼らの背中を支えるのみ!
スタジアムでも、テレビの前でも。
僕らの想いは、必ず選手達の助けになるから!
批判や評価をしたい人も、それは、1年が終わってからすれば良いと思います。
まとめ
鹿島というチームをリスペクトし、伝統を大切にし、選手を愛し、サポーターを愛し、勝利を届けようとしてくれた監督は去りました。
でも、ポポ監督が遺してくれた功績は少なからず今後も残るはずだし、これから先のタイトル獲得に影響を及ぼすと思います。
サポーターへの向き合い方、力を残さずに振り絞る、仲間を信じる、鹿島と言うチームで戦うことを誇りにする・・・。
名古や師岡の起用にボラン知念の誕生!
この先の鹿島が意識すべき事は、ブラジル流とかヨーロッパ流とか、伝統のスタイルとかモダンスタイルとか、そういったことでは無いと思うのです。
サッカーをする上で、勝つために、鹿島が軸に据えるのはただ1つ。
献身・誠実・尊重
鹿島が紡いできた唯一無二の伝統を、ドッシリと中心に据えて、強かに、そしてしなやかに、戦い抜いて欲しいと思います。
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