lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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『終戦のローレライ』を詠んだ!



終戦のローレライ(著:福井晴敏/講談社文庫)を読んだ!

この本が出たばっかりの頃に、人から単行本を借りて読んだのが最初だ。・・・なので、もう8年も前になるのか。。。早いものだ、年月が経つのはさぁ・・・。
今年の初め、いつも立ち寄る「マイ00円倉庫ショップ」に、「文庫4冊300円!」って感じで叩き売られていたので買っておいた。

初読から8年経ってる。随分、自分の環境は変わった。かなり変わった。年も取った。無茶が出来なくなった。もう若者とは呼べないし、その感覚を持ち出されるとタマに嫌悪すら感じるようになった。初読から8年というのは、正直初めての体験かも。。。楽しみだ。

(粗筋)
1945年8月、終戦間近の日本が物語の舞台となる。
既に、組織的な戦いが出来る艦隊は無く、航空戦力も局地的な配備となり、マリアナフィリピン硫黄島沖縄と立て続けに失った日本は、まさに、滅亡の瀬戸際であった。
そんな中、横須賀の舞台に配備されていた二人の少年兵(折笠征人と清水)が、へ配置転換を命じられる。
理由は無い。ただ、現地へ赴き、命令に従えと。。。
辿り着いた矢先、米軍機の空襲を受ける。多くの仲間が倒れる中、1隻の潜水艦に救われる。フランス建造され、ドイツに押収され、今、日本海軍に渡された命名された伊507。この艦が、この物語のもう1つの主人公といえる。
「伊507」は、一見、時代遅れの大砲を装備した旧式潜水艦であるが、実は、その内部(正確に言えば背中に背負っている訳だが。。。)に、神懸り的探査装置を装備しているのだ。
その装置の名がローレライであり、その装置は機械では無く、一人の女の子(パウラ)なのだった。

日本に引き渡される前に、アメリカ潜水艦との戦いの最中、海の中に投棄されたローレライ装置を拾い上げる事に成功した「伊507」は、この作戦を画策した浅倉大佐の命令によってウェーキ島基地へ向かった。
途中、再び追ってきたアメリカ潜水艦との戦闘を経験することによって、寄せ集めだった乗組員達に一種の絆が生まれ、パウラと征人の間にも、恋とはまだ呼べないが微妙な関係が醸成されていく。

ウェーキに着いた彼らを待っていたのは、今回の一連の首謀者である浅倉大佐。彼によるこの戦争の終わらせ方が徐々に明らかになるにつれて、明らかになっていく、「伊507」の旅路の行方。
2発の原子爆弾が投下され、末期患者のように喘ぐ日本。
浅倉の企みに気付き・追いかけ、捕縛を試みようとする一部の軍人達。
3発目の原子爆弾の存在が明らかになり、その投下目標が帝都・東京。
「伊507」、乗組員、征人とパウラ、そして日本の未来は、、、。

(感想)
初読の時に感じた違和感が、今回もあった。
初読の時は、亡国のイージスを読んだ直後だったので、単に本の出来映えの問題だと思っていたのだが、今回、ピンで読んではっきりとした。
それは「戦場ミステリーで攻めたいのか、戦場人間ドラマで攻めたいのか?」である。
ただでさえ、人間の暗部を抱え込んだ連中を登場させているのに、そこにパウラまで出してしまった事が、時に、「おいおい、恋愛物だったのか?」と思わせてしまう。
前作の「亡国のイージス」には、まあ女も出てくるし、多少人間ドラマも展開してるが、基本、男による戦場ミステリーがブレていなかった。

そのせいで、まあ、面白い本なんだけど、、、なんかちょっとなぁ~。。。の読後感になっていたんだな。

それから、これは読む人が読めば違うのかもしれないが、、、
潜水艦ものをリアルに小説に描くのは難しいようだ。
水上艦と違って、潜水艦の戦いとは、、、今はやりの「3D(3次元)」でしょ。それを作者もあの手この手で描いてはいるようなんですが、正直、誰もが船の構造やメカに強い訳ではないので、読んでいて上手くイメージが湧いてこない。その結果、必死に頭の中で3Dを組み立てねばらないため、手に汗握る戦闘シーンに没頭出来なくなってしまう。

それも残念な事でした。

まあ、そのなんだ、あんまり良い事を書かなかったけど、、、つまらないわけではない。

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