僅か4ヶ月ではありましたが、未破裂脳動脈瘤の経過観察を実践したことで、私は手術を決意しました。
未破裂脳動脈瘤と闘う ~実際にやってみた経過観察~ - lands_end’s blog
未破裂脳動脈瘤と闘う ~自分の気持ちが固まった~ - lands_end’s blog
詳しくは、上記のブログを参考にして頂ければ幸いですが、
決断に至った自分の気持ちを正直に述べるならこの一言になると思います。
『不安な気持ちでは、日々を前向きに過ごすことが出来なかった。』
単に恐がりなのだと思います。
ですが、この気持ちに至ったときに、最初に訪れた病院で言われた事を思い出しました。
『この未破裂脳動脈瘤とどう向き合うのか?それは、患者さん自身の人間観で決まるのだと思います』
その時は、いまいち言われていることにピンときませんでした。
でも、今なら、はっきり判ります。
『私と言う人間は、ストレスを抱えて生きるのは苦手な人間である。』
現代社会において、しかもサラリーマンとして致命傷ではないか?
と思いますが、まあ、その通りなので仕方ありません。
今までの社会人人生を思い返してみれば、実際に仕事において、ギャンブルは避ける傾向が強かったと思いますので。
このように思わぬ形で自分の性格がハッキリするという副産物も付いてきましたが、
色々と悩み行動した結果、手術をして治療することを決意しました。
そして、再び病院巡りを始めた時に感じたことを、今回はまとめてみます。
手術を受けることを決めてからの病院めぐり・・・
経過観察を行う前に、既に12の病院を訪れていました。
ですが、改めてその病院のことを思い出そうとしても、殆ど記憶がありません。
先生の顔はおぼろげに思い出せるけど、肝心な点の記憶がないのです。
それは、執刀医となる先生の手術への考え方や、病院の実績などについてです。
病気が見つかった時の病院めぐりとの違い
病気が見つかってから2ヶ月近く、時間と金を掛けて病院巡りをしたのに、
いざ『手術しよう!』と決意したときに、
『あの病院、あの医師にしよう!』と判断できないことに愕然としました。
でも、よく考えてみればこれは当たり前のことでした。
なぜなら、
- A病気が見つかった当時に知りたかったこと
- B手術を受けると決めてから知りたくなったこと
この2つの病院巡りの際の、私が気にしていた視点と、求めていたポイントは異なっていたからです。
A病気が発覚した頃の病院巡りの視点
病気が見つかったときに、自分が知りたかったこと、もしくは医師に助けて欲しかったこと、それは『未破裂脳動脈瘤』とはどんな病気なのかと言うことです。
- 未破裂脳動脈瘤になった自分の生活習慣に問題があるのか?
- 未破裂脳動脈瘤になった自分の身体の他の部分に影響あるのか?
- 未破裂脳動脈瘤になった自分の命が危ないのか?
- 未破裂脳動脈瘤になった自分のこの先の未来はどうなるのか?
- 未破裂脳動脈瘤になった自分を元に戻すにはどうしたらいいのか?
- 未破裂脳動脈瘤になったので破裂が恐いのだけど大丈夫か?
- 未破裂脳動脈瘤になって破裂したら助からないのか?
- 未破裂脳動脈瘤が破裂したらどれくらいの割合で死ぬのか?
- 未破裂脳動脈瘤が破裂しない割合はどれくらいなのか?
- 未破裂脳動脈瘤が見つかってそのまま暮らしている人はいるのか?
- 未破裂脳動脈瘤の手術をしたらどうなるのか?
- 未破裂脳動脈瘤の手術が失敗したらどうなるのか?
まとめてみると、上記のような考えでした。
とにかく、未破裂脳動脈瘤という病気に、なぜ自分が罹ったのか知りたかった。
そして、未破裂脳動脈瘤を治す方法を知りたかった。なるべく痛くなく方法で。
それが、最初の病院巡りの時の視点だったわけです。
A病気の恐怖から助けてくれる医師探し
病気が見つかった時に、自分が病院(医師)に求めていたポイントは以下の点だったと思います。
- 未破裂脳動脈瘤は恐い病気ではないと言って欲しい
- 未破裂脳動脈瘤は誰でも罹る病気だと言って欲しい
- 未破裂脳動脈瘤の死亡率は高くないと言って欲しい
- 未破裂脳動脈瘤はそんなに破裂しないと言って欲しい
- 未破裂脳動脈瘤と冷静に付き合えるように言って欲しい
- 未破裂脳動脈瘤に対する言葉にならない不安を解消して欲しい
改めて言葉にしてみると、とにかく不安で仕方がなかったのだと思います。
くも膜下出血という病気のことは知っていました。
40代を過ぎると、誰もが発症する可能性があり、
一度出血が起きれば、かなりの確率で命を落とす可能性がある。
そのことは分かっていました。
ただし、滅多に起きないし、遠い世界の事だと思っていました。
人間誰もが、自分がガンになるまでは他人事だと思っているのと同じように・・・。
ですが、そのくも膜下出血を引き起こす元が頭にあると言われ、その恐怖に晒された時に、自分という人間の弱さが出るのかな?と思っています。
とにかく、自分で動脈瘤をどうする事も出来ないまま、
ある日・・・というより次の瞬間に、命を断ち切られるかも知れないと考えると、
どうしようもないほどの恐怖が身を包み、そして独りで悩むことに苦しみ、
誰でも良いから『そんなに恐がる必要はない。』と言って欲しかったのです。
結果としては、どの医者も私の願いは叶えてくれました。
『そんなに心配しなくて大丈夫』
『1%程度なんだから、今すぐどうにかなる訳ではない』
『治療する方法はあるから』
でも、私は結局その言葉に安心することは出来なかったのです。
その理由を、今なら、自分自身に向かって、はっきりと言う事が出来ます。
『お前さんは、初めから、手術をしようと思っていたんだよね』
『でも、恐いから、踏ん切りを付けるのに時間が必要だったんだね』
B手術を受ける前提の病院巡りの視点
手術を受けると決意してから、改めて病院巡りをした訳ですが、
その時の私の視点は次のようなものでした。
- それぞれの手術法のメリットとデメリットの再確認
- それぞれの手術法の所要時間
- それぞれの手術法の金額
- それぞれの手術法の後遺症確率
- 私の脳動脈瘤に適応する手術は?
- 医師(病院)の得意な手術方法は?
- 医師(病院)の手術の実績は?
- 医師(病院)の手術の失敗実績は?
病院を訪れる目的が、かなり具体的な理由である事が良く分かります。
手術を受けるのだ!
と考えたからこそ、具体的にイメージが出来るようになり、情報収集が出来るようになりました。
そして、強く意識しているからこそ、
普段の自分ならとうてい出来ないような質問をしていたことを思い出します。
上記で言うと8の質問・・・。
正直、私は結構なビビリな性格で、人と争うのは逃げるタイプです。
なので、こんな人に嫌がられるような事は言えません。
でも、あの時はズバズバと聞いてました。
『先生!先生でも上手く行かなかった手術はありますか?』
『ちょっとでも後遺症が残ったことはありますか?』
この質問をした時の、医師の表情や答え方は、執刀医を決めるのに大変役立ちました。
感じ方は人それぞれだと思うので、悪いことは書きません。
良いと思ったのは、質問したときに『話し方のトーンや表情』が変わりすぎないこと。
笑うのも、苦笑するのもアリだと思いました。
B手術(命)を託すであろう医師との相性探し
先の段落の8の質問における回答は、医師との相性を確認するには大変役立ちました。
この相性を探ることに、医師・病院探しで自分はかなり拘ったように思います。
仕事でもそうですが、人として合う、合わないはアルと思います。
社会に出て仕事を始めたばかりの頃、
『個人的な感情で相手と合う・合わないだけで、仕事が出来る・出来ないと決め付けるような人間にはなるな。』
と、上司に言われたことがあります。
ですが、その上司は次のような事も言っていました。
『人として合う人間と仕事をすれば、失敗した時に人の所為にしないですむ。』
『その観点で、この人ならば仕事の相手として信頼出来る。という人を選ぶのは構わないだろう。』
『ただし、過去の実績やネームバリュー、他人の評価だけで人を安易に信用することはするな。』
『必ず自分で会って、もしくは話して、信頼出来る関係を築きなさい。』
そう言っていました。
今回、手術をお願いする医師探しの際に、この仕事上での経験が多少は役立った気がします。
ただし、仕事以上に厳しい目で見ていたことは確かです。
なぜなら、自分の命の行く末を託すのですから!
私の経験上に、人間的に合う・合わないは、診察室に入った瞬間に半分以上決まると思います。
あとは、話を進めるうちに、良いと思った人が外れたり、普通だった人が信頼出来るようになったりします。
しかしながら、診察室に入った瞬間に『ん?』となった場合には、良いほうに変わった経験はありません。
B術後を過ごす病棟の様子はどうなのか?
診察で医師との相性は分かります。
ですが、手術を受ける病院を決めるには、医師との相性だけでは決めてはいけないように思っていました。
なぜなら、入院したときに最も多くの時間を過ごし、最も多くの迷惑を掛ける事になるのは、病棟の看護師達であると思ったからです。
だから、病棟の様子や雰囲気、看護師の雰囲気、患者の雰囲気、そういった点も確認しておきたいと思いました。
こう考えたのは実は理由があります。
5年前、祖母が転んで、手と足を折って入院したことがあります。
担当の先生はとても親身で、腕も良い先生だったので、回復も早く、家族は早期退院を期待していました。
ところが、数日後、祖母は膀胱炎を発症し、あやうく一命を落とすところまで追い込まれまれ、転院を余儀なくされたのです。
後で両親から聞いた話しでは、決して病院側の怠慢とかではなく、単に看護師たちがそこまで目配り気配りが出来るような体制で無かった事が原因のようでした。
忙しそうな看護師たちを見ていて、祖母はトイレを言い出せなかったそうなのです。
他にも、食事の介助が必要だったのですが、それを呼ぶのも我慢して、顔をお皿に突っ込んで食べていたそうでした。
そんな話を聞いていたので、是非とも病棟の雰囲気を知っておきたかったのです。
なので、診察中に『この先生なら任せてもいいかな・・・』と思えたときには、遠慮せずにお願いしていました。
『先生、長い入院生活を送る病棟を見学しても良いですか?』と。
怪訝そうな顔をする医師もいましたが、すぐに看護師に段取りを取るように言ってくれました。
最終的に、5つの病院で病棟まで見せてもらいましたが、
結論から言うと、
病棟の見学は、手術をする病院を決めるのに重要なポイントにはなりませんでした。
ただし、ここはちょっと・・・と、外す決断を後押しする材料にはなりました。
『何が?』と言われると難しいです。
言葉にし難い部分なのです。
雰囲気とか看護師の目とかお見舞いの人の様子とか・・・そういった点です。
ちなみに、見学時の笑い話が1つあります。
ある病院で、『ねぇ、ここにしなよ!』と嫁さんが見学後に言い出したので、
どうしたのかと思って訪ねると・・・、
『ちょーイケメンがいた!毎日お見舞いに来るのに張り合いが出る!』
と言うのです。
本当に有難いヒトです。深刻そうにする自分の緊張を解してくれるヒトで、私は本当に助けられたと思っています。
ちなみに・・・
退院後、誰かのために毎日見舞いに行くのは相当に大変なことだと理解したときに(遅すぎると言われそうですが)、意外と彼女の言っていたことは大事なポイントだったのかな?と思うようになりました。
ちなみに・・・その2
見学時に、美人の看護師さんがいたら・・・
そりゃ気にはなりますよ。
なりますけど、それで病院をどうこうは無かったですね。
手術を決意してから一番悩んだこと
お金とか、成功率とか、後遺症の可能性とか、色々な意見があるかもしれません。
ですが、私が、この『手術を受けると決めた時点で一番悩んだこと』は、
2つの手術のうち、どちらの手術を受けるべきか?
でした。
未破裂脳動脈瘤の2つの手術のどちらにするか?
この点は、本当に悩みました。
このブログでも何度か書いてきましたように、未破裂脳動脈瘤の治療としての手術は2つあります。
過去の記事はこちらです。
未破裂脳動脈瘤と闘う~選択肢は3つ!2つの手術法と経過観察~ - lands_end’s blog
- 開頭クリッピング手術
- 脳動脈瘤コイル塞栓手術
この2つが、似て非なるもの程度の差なら良かったのです。
でも、手術の仕方や治療法の考えが根本から異なるゆえに、どちらを選択すべきなのか本当に悩みました。
それに、それぞれのメリット・デメリットが余りに大きく、
『まあ、こっちでいいかぁ』
と言える差ではなかったことも影響していました。
手術をすると決意して、様々な医師の元を訪ね歩いたのですが、中々決断することが出来なかったこの最大の悩みは次回以降のまとめにします。
今回のまとめ
今回の記事『未破裂脳動脈瘤と闘う ~手術をする前提での病院巡り~』のまとめとしては、自分の意識次第で同じ病院を訪ねてもその印象が変わると言う事です。
未破裂脳動脈瘤が見つかった時に求めていたことは、
- 動脈瘤とは一体何物で、自分の身体にどんな問題を引き起こすのか?
- 破裂という恐ろしい事態を逃れるにはどうしたら良いのか?
- 死という恐怖・不安を、誰かに『大丈夫』だよと言って欲しい。
と言う事でした。
一方で、
未破裂脳動脈瘤と闘う、つまり手術すると決意してから求めていたことは、
- 私を生きて帰してくれる医師と病院はどこか?
でした。
これだけ求めるものが違えば、再び病院巡りが必要だったのは当然かと思います。
次回『未破裂脳動脈瘤と闘う ~開頭クリッピング手術の手術時間と後遺症、入院期間と費用について~』