lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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未破裂脳動脈瘤と闘う ~自分の気持ちが固まった~



たまたま受けた脳CTで『未破裂脳動脈』が見つかってから約半年で、
『自分は未破裂脳動脈瘤を治すために闘う!(つまり手術する)』
という気持ちが固まりました。

この時間が『早いのか?遅いのか?』それは自分には判りません。
ただ、『早いか、遅いかを比較しても余り意味がないかな?』
と思っています。

そこで今回の記事では、『自分が未破裂脳動脈瘤と闘う』と決意するに至るまで、
やったことや考えたこと、そして、手術への最後の決め手となったことなどを、まとめてみたいと思います。

 

未破裂脳動脈瘤が判ってから、手術を決意するまで

私の未破裂脳動脈瘤が見つかったのは5月でした。

渋滞に巻き込まれ、ボンネットへの日差しの照り返しを延々と浴び続けたことによって、軽い日射病となりました。

翌日になっても、体調不良は治らず、頭痛も酷かったので会社のそばの内科を訪れたところ、「血栓などあると怖いので、念のためCTを取ってきてください」
と言われ、CT/MRI専門クリニックで『CT』撮影し未破裂脳動脈瘤が見つかりました。

 

序盤 ~死ぬと言うことに怯えた日々~

『脳動脈瘤がありますね。』
『どんな病気か判りますか?』

未破裂脳動脈瘤が見つかった時、最初の医師との会話はこの2つ。
良くわからなかったのですが、医師に言われた次のセリフで自分の身に何が起きているのか判りました。
『くも膜下出血で亡くなった、というニュースを聞いたことありませんか?』
『未破裂脳動脈瘤は、その原因となる症状です。』

これを聞いた時から、『死への恐怖』に怯えるようになりました。

自分で調べれば調べるほど、恐ろしい方の数値にばかり目がいってしまい、冷静に考えることが出来ませんでした。
恐ろしい方の数値とは、
くも膜下出血が起きた時の『即死及び数日中の死亡割合(4割程度)』であり、
未破裂脳動脈瘤の『破裂確率(5ミリ程度なら年1%)』に意識が向いてませんでした。

この、目の付け所のミスが、今にして思えば防げたように思います。

そこで、この先の人生において、万が一同様の状況になった(未破裂脳動脈瘤ではなく他の病気になったり、身近な人が病気になるなど)時の教訓として、簡潔にまとめておこうと思います。

 

自分でその病気(状況)について要点を学ぶ
  • 何も知識がない状況では、医師に話を聞いても全く意味をなさない。
  • 時間とお金の無駄になってしまう。
  • まずは、その病気を理解するためのポイントを押さえるようにする。

 

学んだことを複数の医師に確認する

自分で学んだことを、裏付けるために、医師に相談する。
その際、一人ではなくて、複数の医師に相談すべき。

 

それから様々なサイトを見る

ある程度の知識を蓄え、複数の医師に相談した後で、ネットの世界を覗くべきである。

当たり前だが、サイトは不確かなものも多いし、個人のブログなどは書いている人の主観に偏ります(私のサイトもそうだと思います)。
そのため、無防備な状態でネットの世界に突入すると、
書かれている情報の何が正しく、
どの情報が今の自分に必要なのか、
落ち着いて選択することが出来ないためです。

 

前半 ~痛くない治療を探した日々~

ただただ怯えてた序盤を過ぎ、ある程度の知識が蓄えられると、今度は『痛い』ことから逃げようとしました。

  • 投薬で治せないのか?
  • レーザーみたいなのを照射して治せないのか?
  • とにかく痛いのはいやだ!

たぶん、誰もが同じ考えになると思うのです。
出来ることなら、切らないで処理したい・・・と。

 

考えるのはいいことだ!

医師からしたら、突拍子もない質問や意見であっても、患者として必死に考えて自分の思いをアレコレ伝えるのは大事なことだと思います。

  • 相談することで、自分の中の知識の整理が出来ます。
  • 相談することで、向きあってる病との闘い方が見えてきます。

 

結論から言えば、投薬では治せない!

何度かこのブログでも書きましたが、未破裂脳動脈瘤は投薬治療では治せません。

  • 頭蓋骨を開ける 開頭クリッピング術
  • 動脈にカテーテルを入れる コイル塞栓術

この『2つしかない』のである!

 

中盤 ~手術の死亡確率や後遺症に怯えた日々~

手術しかないと判ってからは、それぞれの手術について勉強しました。

  1. どういう手術なのか
  2. 危険性はどれ位あるのか?死亡率や後遺障害の発生率など
  3. 社会復帰にはどれ位必要なのか?
  4. どれくらい『痛い』のか?

1~3は自分でも学べるし、専門家である医師に、とことん聞くほうが良いと思います。
この時点で、めんどくさいという表情が出る医師がいたら、即、サヨナラです。
そんな人に、『命は預けられません』よね。

 

医師は『痛み』については素人です。

素人というと少し言い過ぎかも知れません。
でも、脳神経外科医は、当たり前だがその手術を受けたことはまずない!
多くの手術を行い、症例を見て、経験から話をしてくれるので、
医師の話すことに『間違いはない』と思います。
ですが、医師と何度も話をしていて思ったことがあります。
『先生の話には、生々しさが足りない!』

正直申せば、この手術の痛み、術後の痛みについては、
『体験者のブログを読む』
でいる方が、これから自分が体験することを肌で感じられたと思います。

 

後半 ~身体を傷つけない経過観察をした日々~

手術のことを勉強し、その痛みや苦しみを知れば知るほど、私は逃げ腰になっていきました。
そのような時に、経過観察を勧める医師に出会えたのは、今にして私にとっては本当にラッキーだったと思います。

 

経過観察を行う意味が今ひとつ判らなかった

誰もが陥る可能性があると思いますが、
『未破裂脳動脈瘤がある』と判ってからは、
自分の中では『治療(手術)するしかない』と思い込んでいました。
そのため、経過観察という方法があることは判っていましたが、私にはその経過観察なる手段をとる理由が良く判りませんでした。

なぜなら『なぜに病気を放置しなくてはいけないの?』と思っていたからです。
しかし、経過観察を勧める医師と出会って、自分の知識がとても盲目的であったと気付かされました。

  • 『未破裂脳動脈瘤は直ちに破裂しない
  • 『破裂する確率は、平均すると年1%である』
  • 『だから、敢えて言えば【病気】でなく【血管の不具合】です』

先生がこの3つを話をしたあとに、
『経験上、この動脈瘤は大丈夫だと思うよ。』
『経過観察してみましょう』
そう言ってくれた事で、私は『未破裂脳動脈瘤』に対する見方が改められました。

経過観察についての記事については、こちらも参照ください。 

www.road-to-landsend.net

  

経過観察をしたからこそ自分がどうしたいのか腹が決まった

私は、脳動脈瘤が見つかった3ヵ月後から、約4ヶ月ほど経過観察を行いました。

もしもこのタイミングで経過観察を行っていなかったら、
『どうしたらいいのか悩み、前に進めていなかった』
ように思います。

逆に言えば、経過観察をした4ヶ月、

  • あまりアレコレ考え過ぎることも無く
  • スタンプラリーの如き病院巡りもせず
  • 未破裂脳動脈瘤としっかりと向きあえる時間を得た

それらが、「次の一歩を踏みだす」切っ掛けになったと思っています。

 

終盤その1 ~未来を手術に託すことにした日~

経過観察をしたことで、次の一歩へ踏み出す決意が出来たのですが、
決意するときに考えていたことをまとめてみます。

 

自分の心の弱さ

経過観察の記事でも書きましたが、これが一番の理由です。
格好つけても仕方がないので、正直に書きますが、とにかく『破裂』することが怖かったのです。

  • 朝、トイレで力むと「あ、頭が・・・」
  • 満員電車で息苦しくなると「あ、ここで倒れたら・・・」
  • 昼飯を食べている時も「これが最後になったら昼餐か・・・」
  • 夕方、疲れて肩や首が痛くなると「まずい・・・」
  • 夜、仕事で呑むと「呑んでも青くなる・・・」
  • 夜、風呂に入ってると「のぼせるとまずい・・・」
  • 床について「明日も起きたい・・・」

まだまだあります。
今、思い返してみれば、笑ってしまうような事もあります。
でも、当時は、真剣に悩み、怯えていました。

 

独身でなく、家族がいた

縁あって一緒になった女性がいたことも、『次の一歩』を踏み出した理由の一つです。

多分、いや間違いなく、独身だったら手術はしていなかったように思います。

前述した『破裂』の恐怖とは、『死』への恐怖な訳ですが、
それは、「ただ死ぬのが怖いのではなく、この先の未来に自分の時間がない」。
ということへの恐怖なのです。

家族や嫁さんとの未来を、この先に持てなくなることに対して、

  • とても寂しく思い
  • 悔しくも思い
  • 怖くも思い

もっと一緒の時間が欲しいと強く思ったことを覚えています。

独身ならばなぜ手術をしないのか?

という点ですが、もちろん独身でももっと生きたいと思う気持ちは変わりません。
変わりませんが、手術と言う万が一が起きかねないギャンブルをしてまで、
『生』を延ばすことに執着する意味は薄れるような気がするからです。

独り身であればこそ、より自分の時間を濃くすることに集中し、手術を選択しなかったように考えるのです。

ただし、一人で寂しく死んで、後日誰かに発見されるのはイヤだったので、実家に戻って生活をしたのではないかと思います。

 

セーブしながら生きたくなかった

これは『生』への執着と言っていいのでしょうか?
具体的に書くとこんなことです。

  • 友人や知人との飲み会で、騒ぎながらどこかで抑えている自分
  • 好きなサッカーを観て興奮した直後に、思い出し冷静になる自分
  • 期間が長い仕事に、挑戦することをためらう自分
  • セックスしながら、どこか冷静な自分
  • 好きな温泉につかりながら、心からのんびり出来ない自分

一見、他愛も無いことばかりです。
でも、人生の中の大切なパーツです。

それを、セーブしてしまうことがイヤだったのです。

 

終盤その2 ~手術すると決心してからの日々~

『前へ踏み出す』すわなち『手術をする』と決意してからは、
再び、病院巡りを始めることになります。
ですが、このタイミングでの病院めぐりは、
以前、記事に書いた『病院巡り』とはその目的が大きく異なっていました。

未破裂脳動脈瘤と闘う ~苦労した病院巡りのはじまり~ - lands_end’s blog

なぜなら、

『自分の命を預けても良いと思える、医師と病院探し』

目的となったからです。

『手術をする』と決意したからこそ、
2つの手術方法について真剣に悩みましたし、医師の話しをより意識を高めて聞けるようになりました。

『手術をする』と決意したからこそ、
命を預けられる医師かどうか?医師とのフィーリングを意識するようになりました。

『手術をする』と決意したからこそ、
術後にケアを担当してくれる看護婦の様子や、病棟の雰囲気も気になりました。

『手術をする』と決意したからこそ、
手術を受けようと決意した病院を見つけられた。

私はそう思っています。

 

次回『未破裂脳動脈瘤と闘う ~手術をする前提での病院巡り~』です。

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