lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤との闘いをコーギーに癒され暮らしています。鹿島アントラーズの応援と読書に人生の全てを掛けている40代の徒然日記です。

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『哀愁的東京』を読んだ!



哀愁的東京 (著:重松 清)を読んだ!

2月、ふと、この本を読むのに相応しい時期だと思いついた。
別れの3月、出会いの4月、そのちょっと前の2月が、この本を読むにはピッタリ合うような気がして、手に取りました。
読み終えた直後に感想文を書いていたのだが、下書きで止っていて、気がついたら8月になっていました。困ったものである。

この本を読むのは2度目です。
最初に読んだのは、約10年前・・・。
30代半ば、仕事が伸び盛りで、独身だった時代である。

今は、40代半ばになる。
その間に、生死に関わる手術を経験し、幸運なことに結婚してくれる人に出会い、さらにありがたい事に父親にまでなることが出来た。

劇的に自分の環境は変わりました。
そんな境遇の自分が、この本を改めて読んで、どんな感想を抱くのか?
とても興味を持って読み返しました。

約10年ぶりに『哀愁的東京』を読み終えたので感想をまとめます。

 

『哀愁的東京』のあらすじ

本書は、9つの短編で構成された長編小説になっています。

主人公は絵本作家の進藤宏。
彼は、4年前に描いた絵本がヒットしたものの、モデルにした女の子の背景がきっかけとなり、それ以来新作を書くことが出来なくなり、絵本作家としては表舞台から退場しつつある状態でした。
絵本が書けなくなり、妻と娘とは別居状態となり、明るい未来設計が何一つ描けない40を前にした中年男・・・。そんな彼の稼ぎは、フリーライターとして切り売りする文章からでした。

フリーライターとしての彼の姿勢は、「来る仕事拒まず」。ある意味プロとして「物書き」に徹していました。
新藤は、このフリーライターと言う仕事をするうちに、彼のかつてのヒット作「パパといっしょに・・・」に係わりがある人9人と出会います。

新藤が彼らと紡ぐ9つの短編で、新藤の人生の物語が語られます。

『マジックミラーの国のアリス』

ネットビジネスが飛躍的に伸びた時代の寵児であった、田上幸司との話である。

IT界のヒーローとして世を席巻した田上でしたが、今ではすっかり落ち目となり、経営破たん寸前の企業家に成り下がっていました。
新藤は、その彼のインタビュー記事を担当するのでした。

インタビューを受けた田上は、後に、新藤に個人的な依頼をします。
それは、彼が学生時代に訪れた、除き部屋・風俗店『アリスの部屋』にいた、看板娘のアリスを探して欲しいというモノでした。

依頼を受けた新藤は・・・。

 

「遊園地円舞曲」

閉園を間近に控えた遊園地で働くピエロ・ノッポ氏から、新藤に葉書が届いたことで、物語が始まります。

ノッポ氏は、とある遊園地でピエロの役を演じているのですが、経営不振に陥った遊園地が廃業を決めたため、廃園前に遊園地に来ないか?と新藤を誘ったのでした。

かつてノッポ氏はビア樽氏とコンビを組んでピエロの役を演じており、偶然、新藤と知り合ったのでした。
ある時、新藤は彼らを通じて、1人の女の子と出会い、彼女と親しくなります。そして、彼女から聞いた話がきっかけとなり、彼のヒット作「パパといっしょに・・・」は生まれたのでした。

新藤は、完成した絵本を持ってノッポ氏とビア樽氏に会いに行きます。
しかし、絵本を見たビア樽氏は突然激しく怒り出し、それを契機にして二人と新藤の間にあった淡い友情は崩れさり、新藤は二度と絵本を描けなくなったのでした。

そのような経緯で彼らと別れた自分に、ノッポ氏が手紙を寄越したのは、単に廃園するから感傷的になって会いたいと言うだけではないと感じた新藤は、ノッポ氏の元を訪れるのでした。

そして、ノッポ氏からある依頼を受けることになるのです。
それは・・・

 

「鋼のように、ガラスの如く」

タイフーンという名の、ピークを過ぎた4人組アイドルの話である。

4人組とは言うものの、実態は1人の女の子がメイン扱いされているグループでした。
そのグループが解散することが決まり、新藤は、解散記念のアルバムにつける冊子のライターを任されます。

新藤は、メイン扱いの女の子:通称「姫」にインタビューすることになります。
しかしこの「姫」、相当の問題児でした。
多くの人にチヤホヤされて好き勝手に振舞ってきた「姫」は、すでにコントロールが効かなくなりつつあり、彼女の担当マネージャーを悩ませていたのです。

縁あって今回の仕事をくれたそのマネージャーに、新藤は最初は同情していたのですが、「姫」にインタビューするうちに、「姫」のペースに乗せられてしまい。結果的には恩あるマネージャーを余計に悩ませる種に、新藤自身がなってしまうのでした。

新藤と「姫」が起したトラブルとは?

 

「メモリー・モーテル」

新藤が駆け出しだった頃から世話になった、週刊誌の編集長であるカズさんが、担当している雑誌の部数の伸び悩みから、ついに編集長から左遷させられることになった。
そんな彼から、仕事の依頼が入る。

カズさんの依頼は、男と一緒に顔を隠してヌード写真に映っている女性を探して欲しいというものでした。なぜ新藤に頼むのかと言うと、ヌードの彼女は、顔を新藤の唯一のヒット作品「パパといっしょに」で隠していたからです。

不本意ながらも、お世話になったカズさんのため、そして、自分の作品が妙な形で関わっていることへの興味から、新藤は手伝いをすることになるのであった。

カズさんは、このヌード写真が送られてきた当時、雑誌に載せようとしたが諸事情でそれが叶わなかった。今回、自分が手掛ける最後の雑誌にこの写真を掲載するから、写真に映っている人を探して欲しいと言うのですが・・・。

実は、そのヌードの女性は新藤も知っている人でした!

 

「虹の見つけ方」

食う為に来る仕事拒まずの姿勢で様々な原稿を手掛ける新藤、今度は、かつての歌謡曲界の帝王・新井裕介にインタビューすることになった。

数多のアイドルに曲を提供し、常にヒットチャートの1位を獲り続けてきた彼も、今は昔年の勢いはなく、プライベートを謎に包んだまま、酒に浸りながら静かに退場していこうとしていた。

記事を書くために訪れた新藤に対し、新井は一言こう言うのであった。

「絵本作家なら、虹を描け」
と。

七色の配色がわからず、描けなかった新藤はプロでないと否定されることになる。
そんな、最悪の出会いだったはずの新井から、なぜか依頼が舞い込んだのです。
その依頼は、とてもシンプルなモノでした。

自分が言うことをそのまま掲載しろ。

彼の意図は、彼の最後の製作となるアルバムに、かつて新井が使っていたコーラスグループ「虹」を呼び集めるためであった。

その意図に気がついた新藤は、掲載を渋る編集長を説得して、新井の記事を載せることに成功します。

そして・・・。

 

「魔法を信じるかい?」

担当者に連れて行かれたバーで、新藤は一人の女マジシャンと出会う。

彼女の立ち居振る舞いを見ていて、何かが琴線に触れた新藤は、ずっと描けなかった絵本の新作が描けるかもしれないと、マジシャンに取材を申し込みます。

彼女は、取材を受けるに際して条件を提示します。
それは、あるテレビディレクターに取材の様子をドキュメンタリーとして撮って貰えるなら、取材を受けても良いと言うものでした。

テレビに出て箔を付けたいのかと思いきや、どうやら、マジシャンとそのディレクターの間には、ある秘密の関係があるようでした。

売れずに夢を捨て、バーの隅でマジックを披露する女と、信念に基づいて映像を撮り続けるディレクターの男、彼らの過去に何があったのか?

 

「ボウ」

大学時代にはそれほど親しくなかった「知人」から、突然連絡がはいります。

「いつでもいいからとにかく会いたい。」

友人と言えるほどの仲でもなく、さらに自分の記憶の中の彼は、そんな頼み方をするような男ではなかったのに・・・と、気になりつつ再会した彼は、心に病を抱えていました。

「自分がゼロになってしまうのが恐ろしい・・・」
と。

だから、自分が消えてしまう前に、自分の事を書き残して欲しいと。

流石に新藤はその場では即答せず、言葉を濁して別れるのであった。

暫くして、担当者が心理ゲームに誘ってきます。

「ボウ」と聞いて思い浮かべる漢字はなんですか?

担当者とのこのやりとりを切っ掛けに、人は、自分が置かれている立場や心の状態で、思い描く言葉も変わることを知った新藤は・・・。

 

「女王陛下の墓碑」

平凡な人生を送る人が、女王陛下と友人になることはまずない。

しかし新藤は、普通の人が持てない、その特別な友人を持っていました。

陛下は、いわゆるそういう店で、女王を演じていました。
若い頃から始めたその演技を、50間近になってもなお演じ続けていました。

新藤との出会いの切っ掛けは、取材でした。
新藤は、有名になりつつあった女王様のプレーを体験し、記事にしようとしていたのですが、新藤の臣下としてのやる気の無さを陛下に見抜かれてしまいます。

普通なら、追い出されて終わりのはずが、何故か陛下に気に入られた新藤は、それから20年近くも、女王の友人をやってきたのでした。

しかし、女王様にも、終わりの時が近づいていました・・・。

 

「東京的哀愁」

遊園地での知り合いノッポ氏を通じ、ついにビア樽氏に会うことが出来た。

彼は既にビア樽ではありませんでした。
余命を告げられ、病院に入院していました。

新藤はビア樽氏からあるお願いをされます。
それは、知り合いの男女のホームレスの仲人をする予定だったが、その約束が果たせそうに無いので、直接会って事情を話して来て欲しいと頼まれます。

なぜなら、そのホームレスの二人とも、新藤の作品「パパといっしょに」が好きだから頼むのだ・・・と。

同じ頃、アメリカへ渡っていた妻と娘が日本に帰国していた。
彼らの様子から、今回の帰国は、単なる帰国ではなく、離婚を見据えた帰国であると予感している新藤でしたが、何も言うことが出来ません。
ただ、娘とだけは上手くやりたいと思い、ホームレスと会いに行くときに連れて行こうとするのだが、下手に出る新藤の様子を嫌う娘とも上手く行かず、結局、気まずいまま別れてしまいます。

さらに、新藤をずっと支えてきた担当者も、絵本担当をはずされて営業へ異動になったと聞く。

周りから知り合いが去っていく、寂しさ・・・。

それに気付いた新藤は、ようやく絵筆を手にすることになるのであったが・・・。

 

『哀愁的東京』のおススメ度はいくつ?

おススメ度は80点

10年ぶりに読んだのですが、変わらず、素的な本のままでした。

もっとも、個人的に重松さんの作品(文体)が自分に合うと言うのが、最大の理由の一つかも知れませんが・・・。

 

哀愁的東京 (角川文庫)

哀愁的東京 (角川文庫)

  • 作者:重松 清
  • 発売日: 2006/12/22
  • メディア: 文庫
 

 kindle版はこちら

哀愁的東京 (角川文庫)

哀愁的東京 (角川文庫)

  • 作者:重松 清
  • 発売日: 2013/07/09
  • メディア: Kindle版
 

  

『哀愁的東京』をおススメする人は?

  • ・重松作品が好きな人
  • ・「心」のありようを描いた作品が好きな人
  • ・40代以上の人
    (私個人の見解としては40代以上の方がベター)
  • ・地方出身者の人
    (この理由も私個人の見解です)

この本を、読んだあとに面白くない!と言う人はきっと居ないはず。

 

『哀愁的東京』をおススメしない人は?

・哀愁に浸る気分ではない人

それ以外の人は、大丈夫なはず。

長編小説ではありますが、中身は9つの短編で構成されているので、一気に読む時間が無い人でも大丈夫です。

 

『哀愁的東京』の読後の感想

10年ぶりに読み返して、確かに、自分の人生が10年進んだことを実感した。

それが良いことなのか?
それとも悪いことなのか?

よく判らないのですが、確かに10年という歳月が過ぎ去ったことは実感できました。

読み終えて、特に感じたことを3つまとめておきます。

 

地方に故郷がある人とない人で感想は違うはず

10年前に読んだ時にはそんな感情は抱きませんでした。
でも、地方出身者にとって、故郷ってのはとても大切なモノみたいだと感じたのは30半ばを過ぎた頃からです。

ここで私が言う地方とは、関東地方の人には当てはまりません。
田舎か都会か?と言うの判別も違います。

ふらっと気軽には帰れない場所
文化・言葉・食事が異なる場所

言う意味です。

なので、大阪や京都、福岡のような大都市であっても、小さな町や村、漁村や山村でも一緒です。
自分は神奈川で生まれ、神奈川で育ちました。
子供の頃から、都内に出かけることは良くありました。
だから、自分にとって子供の頃から東京は身近でもあり、身近ではないと言えます。

そんな私の感覚と、例えば中国地方出身の人が抱く東京への想いは、根本的に違うのだと感じたのです。

30過ぎてから、地方出身の友人や知人達と話すたびに、その違いを感じることが多々ありました。

言葉にするのは凄く難しいのですが、どちらが上で、どちらが下で、と言う感情ではなく、東京という場所(名前)に対する思い入れの違いと言えばいいのでしょうか。

少々、まとまりが無くなってしまったのですが、私が言いたいのは、私が抱いている東京への感情では、この本が伝えたいと思っている「東京的哀愁」を、本当の意味で理解出来ないように感じたということです。

 

作家には絶対になれないと思い知らされる本

私は本を読むのが好きです。
漫画を読むのも大好きです。
作家や漫画家になりたいと思ったことはゼロではありません。
でも、漫画家は早々に諦めました。
だって、救いようの無いほどに、画が掛けません。
頭には綺麗な絵が浮かぶのに、手は思うように動きません。
これはこれで、きれいさっぱり諦めがつきました。

でも、作家は・・・。
なりたいと思えば誰でもなれる職業ですよね。

でも、人に読みたいと思わせることが出来る作家になれる人は、ホンの一握りだと思います。

そんな「真の作家」になるには、いくつかの必須条件があると私は思います。

  1. 物を書くのが好きなこと
  2. 文章が上手いこと
  3. 言葉や表現、または体験の引き出しが豊富で、開け方が上手いこと
  4. 記憶力があること
  5. 運をつかめること

どれも大切でしょうが、私個人的には3・4が絶対に必要だと感じています。
単に知識や経験があるだけではダメで、必要な時に、必要な引き出しを開けられ、かつ、その中身の使い方が、人とは違う使い方が出来る。
それが、普通のモノ書きと真の作家の違いだと思います。

さらに、その才は、訓練とか経験で身に付くものではなく、天性に近いものではないかと思うから、自分は到底出来ないと思ってしまうのです。

続いて記憶力。
これは3にも関係しますが、自分が蓄えた知識や体験を、ここぞと言う時に思い出して使えるためには、整理整頓された記憶力が無いとダメだと思います。
これも、単なるお勉強が出来る記憶力とは違うので、やっぱり天性なのかなぁ・・・と思います。

またしても、何が言いたいのか判りにくくなってしまったのでまとめますと、今回の本は、作家になりたいなぁ・・・なんて淡い夢を抱く自分を、見事に打ち砕く本だったと言うことです。

言葉の選び方、使い方、引用の仕方など、読んでいて何度も「うまいなぁ・・・」と呟いている自分がいました。

重松さんの本は、特にそう感じることが多いです。
だから、重松さんは、好きだけど嫌いな人です。

 

ドラマ『世界の中心で愛をさけぶ』の1シーンを思い出した

とても好きなドマラがあります。
2004年の夏に:山田孝之と綾瀬はるかが抜擢され、TBSで放送されていたドラマ「世界の中心で愛をさけぶ」です。

ちょうどこのドラマが放送されていた頃、公私共に荒れに荒れた時期で、ささくれた私の心には、このドラマがヒットしました。

本書を読んでいて、ドラマを思い出したのは、主人公がとある亡くなった人への思いを語るシーンを読んだ時です。

(ドラマの該当シーンの簡単な解説:最終話です)
高校時代に付き合っていた彼女(亜紀)が白血病で亡くなり、それ以来、彼女の死に向き合えなかった彼(サク)が、医者となって10数年ぶりに故郷に帰ります。そして、彼女の父親に会います。このシーンで、父親が彼に話す台詞がとても秀逸です。

防波堤に並んで座る、亜紀の父親とサク。

(父)まだ一人らしいな。
(サク) はい。
(父)お父さんお母さんが、心配してらしたぞ。
そろそろ、とは思ってます。
(父)そうか…
(サク)はい。
(父)もう忘れたか? 亜紀のことは。
(サク) どうなんでしょう。
(父)失礼だぞ、相手の女性に。
(サク)きっと、これからだんだん忘れていくんでしょうね。
すいません。

(父) 寂しいんだろう。
俺もそうだ。
見たくないことまで夢に見ていたのに、見なくなってね。
そのうち、思い出すのにも時間がかかるようになって。
あの時はどうだったかって、女房に確かめるようになって。
でも、忘れたいのでも、忘れないのでもなくてね。
人間は、忘れていくんだよ。
生きていくために。
まぁそんなことは、お医者様に説教をしてもな。

(父)よく頑張ったなぁ、サク。
生死を扱う仕事は、辛かっただろう?
もう、十分だ…ありがとう。

そう言って真が頭を下げると、サクは静かに泣き始めます。

 
この一連のシーンの中で、特に心に刺さったのが、この台詞です。

でも、忘れたいのでも、忘れないのでもなくてね。
人間は、忘れていくんだよ。
生きていくために。


生きている人間の時計は止まらない。
前に進むしかない。


久々に、大切なことを思い出させてくれた一冊でした。

10年ぶりに、読み返した価値のある一冊でした。 

 

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