太平記第1巻(著:森村誠一)を読んだ!
歴史小説を読みたいと思い、戦国時代の小説にするか、近現代史にするか悩んだのですが、一番日本の歴史の中で知識の無い(人気もあまりない)鎌倉末期から南北朝、室町初期の頃を読むことにした。
古典の太平記(全40巻)を読むのはちと骨が折れそうだったので、現代の小説を題材とすることにした。色々と探した結果、以下の3つで悩みました。
- 森村版の太平記
- 吉川版の太平記
- 北方版の太平記時代の各小説
この中で北方版の小説は過去に数多く読んでいるし、少々脚色が強いと思ったので今回は省き、1と2で悩んだ結果、1の森村版を選択しました。
ネット上での絶対評価では吉川版を薦める人の方が多かったのですが、なんとなく文体が自分に合うので森村版を選びました。
まずは『太平記 第1巻』を読み終えたので感想をまとめます。
『太平記 第1巻』のあらすじ
第1巻は、幕府打倒の野心を胸に秘めた後醍醐天皇が開いた花見の宴にて、14歳の北畠顕家が舞を披露するシーンで幕を開けます。
武力を持たない朝廷側が散々苦労して味方に引き入れた武家の一人が裏切ったため、謀議に参加した公家や武家の多くは捕縛、または討ち果たされてしまいます。その結果、後醍醐天皇の最初の倒幕の試みは潰えます。(1324年の正中の変)
しかし幕府は、謀議の中心となった側近を遠流に処しただけで、その他の側近や天皇には手を下しませんでした。
その後、後醍醐天皇は怪僧に惑わされ、鎌倉が滅びることを念じるようになります。
天皇を取り込み権力を得た怪僧は、ついに時の執権・高時を葬る為に鎌倉に刺客を送り込みますが、失敗に終わります。
刺客と共に送り込んだ女が怪僧を裏切り謀議を暴露したことにより、高時の命によって怪僧たちは捕縛され鎌倉に移送されます。そして、謀議の中心にいるのが後醍醐天皇であることを白状してしまうのでした。
前回の謀議の際には天皇の罪を問わなかった幕府ですが、今度は容赦しませんでした。
天皇の罪を問い質すために軍を京都へ向かわせます。
身の危険を感じた後醍醐天皇と側近たちは宮中を脱して難を逃れます。
最初は皇太子を送り込んでいた比叡山を頼ろうとしますが、幕府方の兵に捕縛される可能性が高いと考え、奈良へ逃れます。
東大寺や興福寺の僧兵の力を借りようとしますが、彼らの協力は得られず、已む無く笠置山の砦にて倒幕の挙兵を行います。
それに呼応した楠木正成が兵を挙げますが、正成の思惑よりも早期に笠置山の砦が陥落してしまいます。
そのため、正成は赤坂城で幕府軍を引き付けて奮戦した末に、自らは城内で自刃したと見せかけて城を燃やして脱出するのでした。
(1331年の元弘の変の始まり)
『太平記 第1巻』のオススメ度はいくつ?
オススメ度は70点です!
いきなりのエロチックなシーンから始まるので面食らいますが、導入部の第1巻としては良い出来だと思いました。
『太平記 第1巻』をオススメする人
- 歴史好きな人
- 鎌倉末期~建武の新政~南北朝の歴史を学びたい人
とにかく歴史好きのための本だと言えます。
『太平記 第1巻』をオススメしない人
- 歴史が嫌いな人
→止めたほうが良いと思います。 - 残虐かつエロな表現が苦手な人
歴史に全く興味を持てない方は止めた方が良いと思います。
『太平記』の時代背景
読み始めて直ぐに、この時代の知識がうろ覚えなことに気付きました。
- 鎌倉の将軍ってどうなった?
- 北条の執権とは?
- 内管領?
- 2つの皇統?
読み進めるための補足になればと思いまとめことを、ここに記しておきます。
鎌倉幕府と将軍家
私が学生の頃、鎌倉幕府の成立は有名な語呂合わせで覚えました。
「いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府」
しかし、今はこの語呂合わせではテストで不正解になるのですね。
鎌倉幕府の成立は、現在では1185年が有力だそうです。(諸説あり)
鎌倉幕府 1185年~1333年
では、将軍はどうなったのか?
源頼朝が亡くなると、子供の源頼家、そして源実朝が継ぎ、源実朝が早世するとその後は北条家が権力を牛耳ったと覚えていました。
ですが、実際には幕府滅亡まで将軍は代々存在したのですね。
北条家は家柄から御家人たちを抑えて征夷大将軍となることが出来なかったため、名目上の将軍を立てる必要があり、京の摂関家、ついで皇族から将軍を招いていました。
もちろん、将軍に実権はなく、実権を求めるとすぐに退位させられていました。
- 第4代将軍
藤原頼経(九条頼経)(1226~1244)関白・道家の息子。 - 第5代将軍
藤原頼嗣(九条頼嗣)(1244~1252)頼経の息子。 - 第6代将軍
宗尊親王 (1252~1266)後嵯峨天皇の皇子。 - 第7代将軍
惟康親王 (1266~1289)宗尊親王の息子。 - 第8代将軍
久明親王 (1289~1308)後深草天皇の皇子。 - 第9代将軍
守邦親王 (1308~1333)久明親王の息子。
こんなに続いていたとは知りませんでした。
鎌倉幕府と北条家(執権)
執権についての知識もうろ覚えでした。
「北条家が将軍家をないがしろにして幕府の実権を握った。」と記憶していました。
改めて調べなおしてみたが、大きな間違いではないようだ。
もう少し、正確に記載すると次のようになると思われる。
頼朝の妻・政子の父である北条時政は息子の義時とともに有力な御家人を追い込んで滅ぼし、北条家の立場を強めていきます。更に、意に沿わない第2代将軍を幽閉し、3代実朝を将軍の座に据えた際に、幕府の政治等を司る政所別当に就いてから執権と呼ばれるようになったのが一般的である。
尚、2代目執権の義時が武力を司る侍所別当も兼ねるようになってから、幕府の最高職となった。
こんな感じの把握でとりあえずは話を読み進めることにする。
得宗ってなに?
本を読んでいると盛んに「得宗家が~」という記述がある。
なんだろうと思って調べてみた。
得宗は、鎌倉幕府の北条氏惣領の家系
なるほど、了解した。
北条家(執権)の内管領
小説の舞台となる鎌倉末期には、幕府の権力を一手に握ったはずの執権は権力を失っていました。
14代執権の高時は、すでに内管領の操り状態であった。
正直、この内管領のことはまったく何のことか判りませんでした。
なので、これも調べました。
内管領とは、鎌倉幕府の執権北条氏の宗家である得宗家の執事。
なるほど、つまり自分たちが源家から権力を奪ったように、時代が経つと北条家も家臣に権力を奪われた訳ですな。
この点が判ると、小説内において内管領が軽く見られていたのが理解出来ました。
鎌倉時代の権力構造は・・・
将軍 →御家人→御家人の家来
となるのであり、執権として権力を掌握した北条も他の御家人と同格。
たまたま有力御家人を倒したので北条が権力を握ったが、他の御家人からすると北条家には何の義理もない。
「いざかまくら!」は執権のための言葉ではなくて、あくまでも将軍のための言葉である。
そう考えると、北条の家来筋であった者が権力を掌握しようとも、御家人が従う理由も無い訳で・・・。
なんだか、末期の鎌倉幕府ってのは随分とグダグダだったのね。
持明院統と大覚寺統の2つの皇統の系図?
今回の太平記の背景を理解するのには、2つの皇統を理解しておかないと話が理解しにくくなります。
第1巻ではそれほど、複雑に絡み合ってきませんが、自分自身でも思い返せるように
皇統の系図を貼っておく事にします。
さて、第2巻はどんな展開になるのでしょうか?
(追記)第2巻の記事もまとめました。
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