ソロモンの偽証(著:宮部みゆき)を読んだ!
2015年に映画化され、2016年には地上波で放映された。録画はしたが、敢えて観ない様にしていた。だって、ミステリーは結末を知ってしまったら、読む気が失せてしまうもの。ただし、映像の場合には観る気は失せないと思う。結末を知っていると、どうなるのか?というドキドキ感は無いかもしれないが、「どう映像化するのか?」「どう演じられる(演じる)のか?」といった点に注目することで、結末を知っていても、映像化されたミステリー物は楽しめると、私は思っています。
なので、録画した作品を観る為にも、先に書籍を詠まないと!
と思い立って、古本屋さんで文庫6冊を一気に購入してきました。
主役4人が織り成す3つの展開
(粗筋:かなり長くなってしまいました)
(物語の重要な点にも触れているので、未読の方は読まない方がいいです。)
クリスマスイブに一人の男子中学生が城東第三中学校の屋上から飛び降り自殺をする。
翌朝、登校してきたクラスメートによって彼の遺体は発見され、物語は動き出しますす。登場人物それぞれが重要な役を演じるが、この物語の中心人物は4人である。
- 1人目は、無くなった少年・柏木卓也。
- 2人目は、柏木卓也と生前トラブルを起こしていた不良少年・大出俊次。
彼は、当然ながら、主犯格として物語の最後まで疑われることとなる。 - 3人目は、捜査一課の刑事を父親に持つ少女・藤野涼子。
柏木が自殺した翌朝、父親と共に登校していたため、親子共々、この事件に深く関わっていくことになる。 - 4人目は、前の三人とは違う中学出身の少年・神原和彦。
彼は、自殺した柏木と小学生時代からの知り合いであり、彼の自殺の真相に深く関連していた。
上記の4人(実際に動けるのは3人だが)が中心となって、物語は展開していきます。
その物語は3つの段落で出来ています。
- 第1部は、柏木の自殺が、他殺なのか自殺なのかを巡り二転三転。
警察の検証の結果、自殺説が有力となって行く最中、学校長と柏木や大出、藤野の担任・森内、そして藤野の自宅の三箇所に告白状が届きます。
『犯人は大出達・不良グループである。私は見た!』と。
その告発状の扱いを巡り、物語は複雑度合いをましてゆきます。警察に相談の上で、公表を控えた学校側の判断は、森内に届いた告発状の行方によって波紋を広げることに!若く、未来に輝きを放つ森内を妬む隣人によって盗まれた告発状は、
マスコミへ『森内が捨てた手紙』として届けられ、学校内・関係者だけの中で終息を迎えようとしていた柏木を巡る事件は、一気に世間の目にさらされることになってしまう。
その騒動の大きさに、告発状を書いた同級生の少女・三宅は、ほくそ笑んでいるのですが、一緒に投函してくれた彼女のただ一人の友人は、次第に告発状の内容に疑問を感じ始め、三宅を追求するするのですが、逆に三宅によって精神的に追い込まれ、交通事故死へと追いやられてしまう。
犯人とされ鬱屈した日々を送っていた大出は、マスコミ騒動によってプライベートが晒された上、自宅に放火され、祖母を失うことになる。
また、、結果的に隠蔽を図った形になる学校長は退任となり、担任の森内も精神的に追い込まれ退職することとなった。
- 第二部は、事件から1年後に舞台を移して始まる。
告発状は存在するものの、大出が犯人である確たる証拠はなく、柏木の死は自殺であることが明白とされていた。
しかし、柏木の事件に絡む一連の騒動は、当事者たちのクラスや学年だけでなく、城東第三中学校全体を暗いうわさで覆い、けっして晴れる事はありませんでした。
その、学校全体を覆う雲を取り除くために立ち上がるのが、柏木が在籍していたクラスメートであった、藤野である。
彼女は中学校の卒業制作として、クラスメートたちとともに
『柏木事件の主犯とされる、大出の白黒をはっきりさせる学校内裁判』
を行うことを宣言したのである。
当初は大出の弁護士を自分が担当とする旨を申し出ていたが、柏木の幼馴染という・神原が弁護士役に立候補すると、一転、大出の犯行を追及する検察側となった。
そして、裁判では陪審員制度を取り入れることとなり、陪審員も学生、裁判官も学生と言う、学生による、学生のための裁判を行うことになった。
当然、多くの教師達は反対を唱え、力で潰そうと試みるのだが、藤野の母親や一部の教師達の協力を得ながら、裁判の実現を取り付けることに成功する。そして柏木の事件に関わった様々な大人達にも協力を得ることで、弁護側・検察側ともに事件の証拠を集め、事実・根拠を明確にし、公判を迎えることになるのである。
- 第三部は、学校内裁判が描かれている。
裁判側、検察側、それぞれが第2部で準備した証人や資料を元に、それぞれの持論を展開し、戦っていくことになる。
彼女、彼らの粘り強い活動は、告発状を書いた少女・三宅や、森内先生の手紙を盗んだ隣人の女性までも、証人台に立たせることになる。
「なぜ、柏木卓也は死なねばならなかったのか?」
「自殺なのか?」
「他殺なのか?」
「大出の無罪を証明するものは出てくるのか?」
「そして、なぜ、学外の神原が『大出の弁護士』を志願したのか?」
伝説となった、中学生による中学生のための『学校内裁判』の結末や如何に?
物語の前半と後半に違和感を感じる
宮部さんの本を最初に読んだのは、学生の頃に親父の仕事部屋で見つけた「本所深川ふしぎ草紙」だった。それ以来、宮部さんが描く『人の描写』が好きでよく読んできました。
この本も、今までの作品と同じく、登場人物の心の動きをしっかり描いていて、次々とキャラクターが登場しても、「この人何で登場したのかな?」という物足りなさを感じることはありませんでした。
しかし、何かがおかしい?
一人の一人のキャラクターの肉付けが足りない訳ではないし、手を抜いている訳ではない、それなのに、第1部、第2部、第3部と読み進めるうちに感じるこの「違和感」は何なのだろうか?
その答えは読み終わった時にはハッキリしなかったのですが、その後、ネットで様々な書評を読んでいるときに答えを見つけました。
作者が言う「10年の留年」が生み出したものとは?
ソロモンの偽証の文庫化を記念して作られた、公式サイトの最後に、作者の直筆でメッセージが書かれています。
この10年、私はずっと
この作品の中に「留年」していました。
やっと卒業です。
嬉しいけれど、淋しい。
~後略~
これを読んだ瞬間に、私が感じた違和感の謎が解けた気がしました。
念のため、ウィキペディアでも調べてみました。
『小説新潮』(新潮社)にて、2002年(平成14年)10月号から2006年(平成18年)9月号、同年11月号から2007年(平成19年)4月号、同年6月号から2011年(平成23年)11月号まで連載され、
~後略~
やっぱり!
この『ソロモンの偽証』は長期に渡って書かれた連続小説でした。
(って、知らない私がおかしいのかも・・・。)
これはあくまでも私の主観なので、異論もいっぱいあると思います。
本当に、私の勝手な感想文なので、読んで気を悪くされたら申し訳ありません。
私は、長期に渡る連載は、前半と後半で違った作品になる恐れがあるので、作品として成立させるのは難しいのだろうと考えています。
特に、漫画のような視覚で感じる作品だと余計に顕著になると思います。
なぜなら、作者の技量(文でも画でも)は長期に渡る連載によって、当然、レベルアップする訳で、その結果、当初の文章力(漫画なら画力)と後半の「それ」は間違いなく異なってくると思うのです。
宮部さんにとって、この「ソロモンの偽証」はデビュー作ではなく、十分な実績を備えてから書かれた作品だからこそ、読んで直ぐに「なんだこりゃ?」となるような稚拙な内容ではありません。
だけど、実力がある故に、言葉としては悪いけど、
「違和感が上手に霧の中に隠されてしまっている」
ように思えてならないのです。
宮部さんが言う、「10年の留年」が生み出したものは、
「宮部みゆきの10年をまるっと熟成」ではなかったように思います。
「宮部みゆきの1年1年を積み重ねた10年」になってしまった結果、
宮部さんの得た経験値が、逆に、物語の連続性に違和感を生じさせてしまったのではないでしょうか?
映像化を意識され過ぎた表現!?
読んでいて、相変わらず表現が上手だなぁ。面白いなぁ。と感じるシーンが数多くありました。
最初の方だけでも、例えば・・・
- 柏木くんの遺体が発見されるシーン
- 葬式のシーン
- 商店街にたむろする大出たち不良グループの様子
などは、頭にフワッと映像が浮かびました。
- 大出達が公園で別の学校の生徒に暴力を振るうシーン
- 森内先生の隣人がポストから郵便を盗むシーン
などは、行為の一つ一つがとても緻密に描かれていました。
そして、
- 学校内裁判の描写
これは、色んな裁判物のドラマのシーンが、次々と頭に浮かんでは消え、浮かんでは消えるといった感じで、本当に凄い表現力だと思います。
ただ、一つ気になるのは、この文章に感じるのは、
「映像化が出来る表現」であって、
「映像化がしにくい表現」ではないということです。
この本はミステリーなので、どう結末を描くか?
が重要なので、映像化に関しては、複雑で特別な映像表現は要らないのかも知れませんが、何ていえばいいのかなぁ・・・。
「これ、映像化された時、どんな映像になるんだろうな?」
みたいな驚きが、読む側としてちょっと少なかったように感じました。
ソロモンの偽証のオススメ度はいくつ?
おススメ度は75点!
ここまで書いて読み返すと、生意気に文句ばっかり書いている事に気付きました。
でも、好きだからこそ、最初からハードルが高いからこそ、読み始める前に思い描いていた「自分なりの宮部ワールド」にドップリと嵌れなかった事へのガッカリ感だと思います。
まあ、勝手な思い込みではあるのですが・・・。
それから、ミステリーとしても、途中で犯人が判る・・・
というか、タイトルが既にネタバレ?じゃないかと気になるのですが如何でしょうか?
「ソロモンの偽証」というタイトルが犯人をばらしてない?
旧約聖書の『列王記』に登場する古代イスラエル(イスラエル王国)の王(在位紀元前971年 - 紀元前931年頃)。父はダビデ。
神から多くの知を授けることを約束されたことから、「ソロモン」は知恵者のシンボルとなった。
知恵者って言ったら、この小説では2人。
藤野と神原しかいない。
そのうち、藤野は柏木の死に関わっていないことは読んでいけば明らかなので、自ずと1人に絞られる。
つまり、言ってしまえば「神原の偽証」になる訳だ。
本の中でも、何度か『彼が何かに関わっている』ことを匂わせる表現が出てきているので、犯人の目星を付けるのはそれほど難しくはないが、なんだか、ちょっと捻りが無さ過ぎるような気がしてならなかった。
そして、『偽証』の内容だが、ここでは詳細には触れないようにしますが、
正直、「マジデスカ!?」
って思わず呟くような驚きは無かったです。
思うに、作者の人物描写が精緻を極めた結果、本をしっかりと読みこんでいくと、なんとなく結末が見えることになってしまったのかなぁ?
と自分なりには思っています。
注意!杉村三郎シリーズ愛好者の方!!
最後に、ちょっとした注意喚起を!
文庫本の最後に、本編の20年後を描いた続編『負の方程式』が掲載されています。これは、杉村三郎シリーズの最新作になるのです。
つまり、杉村三郎シリーズの関連書籍を読んでいないと、この短編を読むことで、杉村三郎の環境の変化をいきなり「ネタバレ」をされてしまうのです。
私は、2016年4月に文庫化された「ペテロの葬列」を読んでいなかった為、とても、とても残念な結果になってしまいました。
『ああ~、ちくしょー。』
短編のはじめに、「ネタバレ」注意としてよ~。
しかし、この短編は本書に必要だったのかな?
本編の最後にも、学校内裁判に関わった人物の後日談が書かれてい上、更に追加の短編でも後日談が書かれていて、作者のこの作品への思い入れは良く判るのですが、、、
ちょっと蛇足気味な感じがしないでもありません。
後日談(続編?)を書くのであれば、
『しっかりと独立した1冊の形』
で書いて欲しかったと思うのは、私だけでしょうか?
今回は、なんだか不満ばかり書いてしまいました。
宮部さん、申し訳ありません。