1973年のピンボール(講談社文庫/著:村上春樹)を読んだ!
前回の「風の歌を聴け」に続いて今回も村上作品。
・・・別に、新作が出たから書いているのではなくて、今年の4月頃、ふと思い立って村上作品を読み直し始めたので、それを書いておこうと思ってるだけなんす。
このブログの目的は、MY NET 本棚なんだから。。。
また、どーでもいい事を書き連ねそうだから、早くあらすじに入ろう。
この本の構成は大きく分けて2つ。
僕と下宿先の女の子、僕と事務所の女の子、そして僕と双子の女の子といった、僕の周りいる女の子達の物語が一つ、もう一つは、僕の友人である鼠の物語だ。
舞台は1973年秋。前作から3年が経っている。僕も鼠も大学を卒業(あんなに好き勝手やって卒業出来るなんて、、、)し、友人と翻訳会社を立ち上げ、それなりにやっている。
小説の中で、僕のパートと鼠のパートが交わることはない。僕のパートは、大学時代の回想も含めて1973年の時点までが描かれており、鼠のパートでは時期ははっきりとされていない。そして僕は、見ていないはずなのに、鼠が大学を退め、自分の存在に悩みながら地元のバーに入り浸り、一人の女と出会い、そして街を出て行くまで、それを淡々と書き連ねている。まるで誰かから聞いた伝聞のように感じる。
いったい、僕は誰からこの話を聞いたのかが、いまもって私には謎です。この謎は、次の「羊をめぐる冒険」を読む事で、一応は一つの仮説が立てられたけど、やっぱりしっくりきていないのです。。。
一転して僕のパートは、、、やりすぎだろう、おいっ!と怒りたくなるような、、、
ぶっちゃけ羨ましくなるような展開が続いていきます。だって、双子の女の子と同棲だよ。初めて読んだ20代前半の時の衝撃は、今もかわらん。ただ、あの頃は「こんなの小説だからなぁ」と思っていたけど、今は「世の中色んな人が居て色んな付き合いがあるからなぁ」と、感じるようになった。私も歳を重ねたということなのか。。。ただ、私の身には起きた事は皆無なんだが。
そして、題名にもある「ピンボール」。
そもそも、なんでこんなにピンボールに拘っているのか、さっぱり分からん???ピンボールじゃなくても、、、例えばインベーダーゲームでも、ドンキーコングでも、ガンダムのプラモデルでも、鼠と僕の共通の何かであれば、実は何でも良かったんじゃないのか?と思うのだが、どうなんだろうか。なんで、村上春樹は「ピンボール」を選んだんだろうか?今回の読破でも、その謎は解けなかった。
この本で、印象に残ったのは2箇所。
一つは、物語の初めの方に出てくる、かつての恋人・直子から聞いた、彼女の地元の駅にいた「白い犬」を探しに行く場面。
もう一つは、双子と一緒に「死んだ配電盤」の葬式をあげる場面。
どう印象に残ったのかと聞かれても、上手く答えられないんだけど、ただ、読んだ瞬間に頭の中にその場面の映像が浮かんだからなんです。
とりあえず、私個人としてはこの本はまだまだ理解しきれてないし、それほど面白いとまで思えないけれど、でも、村上春樹の羊三部作の一つとしてなら重要だと思います。