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lands_end’s blog

未破裂脳動脈瘤と闘い、コーギーに癒され暮らしてます。本好き歴史好きサッカー好きの40代の徒然日記です。

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坂の上の雲を読んだ!



坂の上の雲(著:司馬遼太郎/文春文庫)を読んだ!

NHKでの放送が始まるので、もう一度おさらいしておこうと思って読み始めたのが11月の末だった。それから約1ヵ月半。。。ようやく8冊読み終えた。。。
ドラマについては、そのうち書く、、、はず。

この本は小説と言うよりも、3人の男を中心に据えて、文明開化を終え世界の一流国へ名乗りをあげようと必死でもがいた明治時代の日本を、解説した本と言ったほうがしっくりくるような気がする。

初めて、この本を読んだのは4年前。
やっぱり、行きつけの古本屋で纏め買いして、読んだ。
それまでは、正岡子規知っていたけど(教科書に載っていた子規の写真が印象が強く残っていた。確か横顔で禿げていて、ちょび髭だったような気がする)、秋山兄弟の事は全然知らなかった。
思うに、その兄弟を通して、もしかしたら僕にとっては初めて、明治時代をじっくりと眺めたような気がする。
「歴史が好き。」と何度も書いてきたけど、実は幕末から明治にかけてはあまり知らない。知らないというか、、、「この人に惚れた!」という人物が決めきれなくて、没頭できなかったというのが真実だ。それと、時代が近く様々な証左が残っているため、どうしても僕の大好きな「妄想」をする余地が殆ど無いことも原因かもしれない。

そんなこんなをふっ飛ばし、あの時代を知る切っ掛けを作ってくれた本としては、作者には感謝している。。。ま、あちこちで創作し過ぎだの、事実を歪めているだの、日本人の歴史観を固定し過ぎただのと、、、色々言われている人ではあるようですが、ね。

さて、本の粗筋ですが、、、
小説とは違うから何時ものようには書けませんな。。。

始まりは、明治維新
討幕派の藩と佐幕派の藩の違い、あの時代の識字率の高さ、教育水準の高さ、などをつらつらと書くことによって、なぜあの当時の日本が、ブレーキの壊れたダンプカーのように猛進していったのか(猛進できたのか)を描いている。
言うなれば、その解説を身をもってしてくれるのが、
秋山好古
秋山真之
正岡子規

の3人であるわけだ。

中盤の一大事は、日清戦争と言える。
日本が初めて味わう近代戦。刀で人を切れば、当然、感触として人を殺した事を実感する。しかし、近代戦においては、人を殺したことすらも気がつかない事がある。
それが大量殺戮に繋がるし、無謀な戦闘命令に繋がるし、、、。
それでも、あの時代の人々が正気を保ちつつ、前へ進み続けられた要因の一つとして、子規を筆頭として登場してくる文芸の徒を描いているのかも知れない。。。(自信ない)。

後半は、日露戦争一色です。
日清を更に超える規模の近代戦。桁違いの軍費、死傷者、、、。とはいえ、決して反戦思想に基づいた本とは言えず、時に戦場において一兵士や指揮官が見せた行動や記録された書物を元に、この時代の戦争は良かったんだよ~。と匂わせてしまうところが、もしかすると司馬遼太郎が批判される原因の一つなのかもしれない。
さらに、日露戦争までの政治の仕方、外交の仕方、軍部のあり方、天皇のあり方、その殆ど全てを肯定し、こうだったから勝てた!と書くことで、暗にその後の日本を否定していることも、人によっては気になるのかもしれない。確かに、著者が書いていることは間違いではないし、歴史の結果を見れば、正しいのかもしれない。でも、その混沌とした流れの中に放り込まれていった無数の一般庶民にとっては、「そうですね」と言えるのかはちょっと疑問だ。

なんだか、話が変な方向に行きそうなので、この辺で止めておこう。

この本は、全く歴史に興味を持たないで、あくまでも歴史を基にしたフィクションとして読むのであれば、それなりに楽しいかもしれない。でも、間違っても「へ~そうなんだぁ。こんな歴史だったんだぁ」という風に読んではいけない。
だって、作者が後書きに書いているもの!

「たえず頭においているばく然とした主題は日本人はなにかということであり、それも、この作品に登場する登場人物たちがおかれている条件下で考えてみたかったのである」

ね。つまり、秋山兄弟と子規を使って行った、著者の妄想なんだよ!

それを忘れてはいけない。

余談だが、2007年に四国を車で一周した際に、松山に宿泊した。
その際に、ドラマの中で金之助(夏目漱石)が浸かっていた道後温泉に行った帰り、人に聞きながら秋山好古の墓を(東京の青山霊園にもある)訪ねてみた。

墓地に入って数分で、彼の墓は見つかった。至極普通の墓石に、名が刻んであった。
その向かいに植えられている木に、日章旗が掲げられ、「陸軍大将 秋山好古閣下」と書かれた旗も添えられていた。
これも見ようによっては、軍国主義がまだ生きているとして、非難する人や国があるかもしれない。でも僕は、そうではなく、彼を慕い思いを馳せる人々の表現方法の一つに過ぎないのだと思った。今(昭和後期に生まれ、教育を受け、平成の世にサラリーマンをやる)の僕ら世代にとって、そういう風に理解するのが自然だからだ。
それが、良いことなのか、間違っているのか、それは、わからんよ。

もっとも、あのように飾り立てられることや、僕みたいな河童の出来損ないみたいな男がノコノコやってきて墓の前に立つことに対して、きっと墓の下で呟いていることだろう。

「あしは別にたいした事をしたわけではないぞな」
「男は単純明快に生きよ」

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